八八王
八八王(ぱちぱちおう)
- 八々王、「やつはちおう(やっぱちおう)」とも
由来
- 延元元年(1336年)、足利尊氏再入洛のころ、京都阿弥陀ヶ峰の戦いで、駿河今川氏の初代今川範国が振るった太刀。
- 今川範国は、伊勢国の愛曽(あいそ)という大力の者と戦い、兜の鉢と半首を真っ二つに切った為、名付けたという。
伊勢国の愛曽とは伊勢の愛洲氏であり、愛洲三郎左衛門宗実なのだという。「続群書類従」武田系図では、愛洲氏は甲斐武田氏の後裔とし、武田太郎信義の子・一条次郎忠頼をその祖とする。のち伊勢五ヶ所に拠り「五ヶ所(五ヶ瀬、ごかせ)」氏を名乗ったとも言う。のち同地から剣術陰流の始祖である愛洲移香斎久忠(あいす いこうさい)が出た。現在、三重県度会郡南伊勢町五ヶ所浦(ごかしょうら)には「愛洲の館」がある。
半首(はつむり)とは、額から両頬を防護する鉄製の面具
その頃大御所(足利尊氏)は東寺の御陣なり。先皇(後醍醐天皇)は山門に御座なり。四方の口々を宮方より塞ぎしかば、味方兵粮難儀にて、東は関山阿弥陀が峰、南は宇治路、西老の山、北は長坂口などに連々大将をつかはして破られしに、故入道殿(今川範国)、阿弥陀が峰に向ひて、諏訪今比叡の前にて戦ありて追ひ払給ひし時、左の肩先を射られ給ひき。
その二三日ありて四宮河原に勢を向けられけるに、重ねて故入道殿が向れしかば、鎧の射向の袖を解きて向かひ給ひしに、まづ坂口には仁木右馬助義長、今の右京大夫なり。三井寺路めぐり地蔵には故殿向給ひしに、義長云ふ「今日は逃げず継ぐの戦なるべし」と云ひければ、故殿「勿論」と返事ありき。
終日両所合戦に仁木手退く間、相坂手より伊勢国愛曾といふ大力の者只一騎うしろより来けるを、前のたゝかひの隙なきに是を知給はず、故殿の御あとに控へられたる安芸入道殿の甲のしころを切り落としければ落馬なり。ならびて控へたる範氏の卅六さしたる大征矢を払切りにしてけり。
その時故殿馬を立て直して、先づ太刀をおられしに、愛曾甲の鉢をわられて馬の平首に平みて太刀にて払けるに、左の御籠手の二の板を切りて前なる敵の中に分け入けり。その時此戦もやみけるなり。
後に故殿家人殿村平三と云ふ者、愛曾が知音にて、此甲の鉢と半首を取出て見せて、「今川殿はいかなる剣を持ち給ひて、随分某がためしたる甲と半首をわり給ひて、鉢巻き切て頭にすこし疵をかうぶりき。眼くらく成りしかば引退し」と語りき。
それより此太刀を八々王と名付け給ひしなり。八を二つ重ねたる故なりと仰せられしが、この太刀も籠手も故総州(今川範氏)所望して今相伝なり。太刀は国吉が作なり。
(難太平記)
来歴
今川範国
- はじめ今川範国(故入道殿)所持
【足利一族】 足利義氏─┬足利泰氏─┬足利頼氏──足利家時──足利貞氏─┬足利尊氏 │ └斯波家氏 └足利直義 │ ├吉良長氏─┬吉良満氏──吉良貞義──吉良満義 │ └今川国氏─┬今川基氏──今川範国─┬今川範氏 │ └今川常氏(関口氏) └今川貞世 │ └吉良義継──吉良経氏──吉良経家(東条吉良氏)
今川範国は今川基氏の五男。兄3名は小手指原の戦いや相模川の戦い等で戦死した。後醍醐天皇が開始した建武の新政から足利尊氏が離反すると、同族の誼でこれに従い各地で軍事活動を行った。建武3年(1336年)に遠江守護職、次いで駿河守護職を与えられ、駿河今川氏の初代当主となった。
今川範氏
- のち、範国嫡男の今川範氏(故総州。高名な今川了俊の兄)が所望して相伝。
【今川氏】 吉良長氏─┬今川国氏──基氏─┬頼国──頼貞 ├常氏(関口氏) ├範満 ├俊氏(入野氏) ├頼周 └政氏(木田氏) ├法忻 └範国─┬範氏──泰範──範政─┬彦五郎範忠───義忠─→ │ ├弥五郎範勝 └了俊貞世 └千代秋丸範頼──小鹿範満
今川範忠
- 永享6年(1434年)に弟範勝が相伝していた本刀を室町幕府が仲介して嫡男範忠に返還させている。
幕府、今川彌五郎(範勝)をして、相傳の鎧太刀を兄範忠に還付せしむ、
永享五年十月十四日條晴、自赤松播磨守方以使者明石左京亮へ申自御所様被仰今
河 民部大輔重代鎧并太刀未彌五郎方ニ所持云々明日吉日間可被渡遣以管領可被仰付
(略)
六年四月二十日晴今河 民部大輔使節朝比奈近江守今日懸御目了重代鎧并太刀號ヤヽ王於籾井所請取了公方御蔵去年以来民部大輔舎弟彌五郎令随身□洛處爲公方被召出被返下民部大輔也
(満済日記)
今川範忠は父範政の嫡男として生まれたが、父から廃嫡されかけたため家督争いが起こっている。しかし永享5年(1433年)に父が死去すると、鎌倉公方持氏との対抗上、範忠に継がせるべきとした足利義教の裁定により範忠が今川氏第5代当主となった。範忠はこの後も永享の乱や結城合戦で幕府方として働き忠誠を示したため、義教より今川姓を範忠の子孫のみに許して同族庶流の今川姓使用を禁じる「天下一苗字」の恩賞が与えられている。この八八王返還についても同時期に行われたものである。
ここでは「ヤヤ王」とルビが振られているが、恐らく本刀ではないかと思われる。
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