九十九斬り
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九十九斬り(くじゅうくにんぎり)
刀
相州秋広作
由来
- 水戸藩士萩庄左衛門君重はもと甲斐武田氏の家臣で、戦功により武田勝頼から拝領した相州秋広の刀を所持していた。
- 寛文3年(1663年)の夏、萩庄左衛門は重病にかかり再起不能となった。
- その時に、「今までこの刀で九十余名を斬ったが、百人に満たないのは心残りだ」と嘆いたという。
- そこで従僕の稲葉小平がこれを借りて行き、水戸城下
神生平 の神応寺境内の乞食を斬って回ったが、乞食が逃げ去ったので九十九人で終わりになったという。 - これにちなんで相州秋広作の刀を「九十九斬り」と号した。
- 神応寺はのち延宝8年(1680年)に移転し、現在は茨城県水戸市元山町1丁目にある。
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