乃可勢
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乃可勢(のかぜ)
一節切
諏訪市の有形文化財
野風、のかせとも
来歴
- 信長から豊臣秀吉、徳川家康へと渡った。家康が死期に際して茶阿局を介し六男・松平忠輝に形見として託したという。
- 忠輝は元和2年(1616年)7月に兄・秀忠から改易を命じられ、伊勢国朝熊山、飛騨国高山、信濃国諏訪へと順に流された。配流から死去までの58年間を過ごした長野県諏訪市(旧諏訪藩)の貞松院に現存し、諏訪市の有形文化財に指定されている。
貞松院は長野県諏訪市にある浄土宗の寺院。貞松院とは、信州諏訪藩の初代藩主諏訪頼水の正室の院殿号。嫡男である2代藩主諏訪忠恒(忠頼)が母の死後に廟所を建てたことにより、もとは慈雲院としていた寺院号を貞松院へと改称した。のち、天和3年(1683年)7月に松平忠輝が諏訪高島城で亡くなると、この貞松院に葬られた。
- 江戸中期、忠輝の百回忌(天明2年)あるいは百五十回忌(天保3年)を記念した模造品が10本製作されており、そのうちの1本「秋声(しゅうせい)」も貞松院に伝えられ、法要などで実用に供されている。模造品は関係者に配られたと見られるが、残る9本の所在は不明。
一節切(ひとよぎり)
- 一節切とは尺八の前身ともいわれる楽器で、"一節"分の長さの竹で作られているのがその名前の由来とされる。
- 室町時代中期、中国の禅僧蘆庵が伝えたとされる。一休宗純や雪舟、後北条氏の北条幻庵が名手であり、京都の一休寺には宗純愛用の一竿が伝わる。
- なかでも北条幻庵は一番の名手とされ、自らも一節切を作った。幻庵の手によるものは「幻庵切り」と呼ばれ朝廷にも献上されたほどである。
此頃は尺八を切り給ふ事名誉なり。幻庵切の尺人とて、一節切の尺八、都鄙に流浮し、禁中よりも御所望ありけり。
- 安土桃山時代には武士の嗜みの一つとされ、多くの武将が愛好したことが伝わる。
- 江戸時代になると普化宗の虚無僧により、より音域の広い「普化尺八」が広がり、一節切は衰退し、現存するものは極めて少ない。
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