不動行光


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 不動行光(ふどうゆきみつ)

短刀
銘 行光
名物 不動行光
8寸4分(25.4cm)
個人蔵

  • 享保名物帳所載

    不動行光 長不明 代金百枚 小笠原左近将監殿

    再刃されているが、享保名物帳では焼失の部ではなく本編に載る。なお古い版の名物帳では単に「不動」となっており、この「不動」は行光ではなく相州貞宗であるともいう。その場合、「不動行光」は享保名物ではなく、享保名物帳に記載される「不動」とは貞宗作の別の刀ということになる。しかしその場合でも、信長や蘭丸のエピソードは「不動行光」のもので変わりがない(不動国光が享保名物か否かという話)。

  • 詳註刀剣名物帳

    小笠原左近将監は右近将監の誤り、この人物初め忠政と云ふ、兵部大輔秀政の子なり、母は台徳公秀忠の女、父大阪に於て戦士し兄もまた病死したるを以て家を継ぐ、寛永九年豊前小倉十五万石を領し九州探題の命を蒙る、今の小倉小笠原はこの家なり、不動行光は不動の彫物あるに依ての名なるべし、其刀の由来分らず

  • 櫃の内に梵字、蓮花、不動、童子の彫物。なかごに「行光」の二字銘。

 由来

  • 不動行光とは、表の櫃の中に不動明王とその眷属である矜羯羅(こんがら)、制多迦(せいたか)の両童子を浮彫にしているところから名づけられたもの。
  • 矜羯羅童子と制多迦童子は不動明王の従者「八大童子」に含まれるが、不動明王とこの2体を両脇に従えた三尊をとくに「不動三尊」と呼び意匠として使われることが多い。

 人には五郎左御座候

  • 織田信長が所有し、これを非常に自慢していた。
  • 酒に酔って気分が良くなると、膝を叩きながら、「不動行光、つくも髪、人には五郎左御座候」とよく歌ったという。
    1. 「不動行光」:本刀
    2. 「つくも髪」:名物茶器の「九十九髪茄子」茶入
    3. 「五郎左」:丹羽長秀(五郎左衛門尉)のこと

もとは東山御物である名物九十九髪茄子」が松永弾正から献上されたのは永禄11年(1568年)であるため、この歌はその頃の話となる。
 この信長が歌ったという逸話は不動国行にも残る。本来どちらのものであったのかは判然としない。ただし信長の嗜好からすると、足利将軍家伝来の太刀である不動国行であったのではないかと思われる。


 来歴

 信長~森蘭丸

  • 信長は、小姓の中でもとくに才能を愛した小姓頭森蘭丸にこの不動行光を与えている。
    永禄8年(1565年)生まれの森蘭丸が小姓として召し抱えられたのは、天正5年(1577年)5月とされる。
  • 信長が厠に行く際に小姓の蘭丸に刀を渡しており、その際に蘭丸は拵えの刻(きざみ)の数を数えていた。
  • ある時信長が「拵えの刻の数を言い当てたものにこの不動行光をやろう」といった。蘭丸だけが黙していたため理由を問いただしたところ、上の経緯を話し「知っていながら知らぬ振りをしていい当てることは嫌でございます」と答えたため、信長はその正直さを賞し「不動行光」を与えたという。

    森蘭丸は三左衛門可成が子にて、信長寵愛し、十六歳にて五萬石の地をあたへらる。ある時刀をもたせ置れしに刻鞘の数をかぞへ居たり、後に信長かたへの人をあつめ、刻ざやの数いひあてなん者に此刀をあたふべき由いはれければ、皆おし料ていひけるに、森はさきに数へて覚えたりとていはず、信長其刀を森にあたへられける

  • その後、蘭丸は本能寺の変で信長に殉じたため、本刀も焼身となった。
  • 江戸時代中期の寛政十二年に刊行された「集古十種(しゅうこじっしゅ)」によると、当時まだ本能寺に所蔵されており、刀身は一尺八寸六分であったという。
    短刀であり八寸六分の誤りだと思われる。また該当すると思われる記述では「織田信長公刀圖山城國本能寺藏 長一尺八寸六分 無銘」と無銘になっており、別物の可能性がある。なお本能寺は、本能寺の変ののち天正19年(1591年)に秀吉の命により現在の寺域である京都市中京区寺町御池下ルへと移転させられている。

 異説

  • 小笠原家の伝来では、信長から信雄へと伝わり、信雄から小笠原忠真が拝領したという。

 小笠原家

  • その後、豊前小倉藩小笠原家に伝来。
  • 詳註刀剣名物帳で「この人物初め忠政と云ふ、兵部大輔秀政の子なり」と書いているのは初代藩主小笠原忠真のこと。徳川家康の曾孫にあたる。
  • 昭和4年(1929年)3月の日本名宝展覧会では小笠原長幹伯爵所持。

    不動行光短刀
    長  八寸五分
    作者 相模國行光 弘安(六百五十二年前)頃
    傳來 織田信長の遺愛にして、子内大臣信雄に傳へ、信雄より小笠原右近大夫忠眞に贈れり。
    備考 不動の像を彫りたり。

  • 昭和頃に静岡の石居健次氏蔵
  • 現存、個人蔵。
  • 2018年1月に、佐野美術館において40年ぶりに特別展示された。

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