丈木


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 丈木(じょうぎ)


無銘 伝盛景作
名物 丈木
刃長2尺1寸5分
井伊美術館寄託

  • 享保名物帳名物追加

    丈木 太刀なるべし 松平加賀守殿
    高倉宮の御内、長谷部信連の子孫より出る、北国にて箸にする木を丈木と云ふ、背中に立に負ひ行くなり其内の者を切るに、丈木ともに切り留る故の名なり、長氏気短き仁にて家来を呵りながら釜の鏆なり、爐(いろり)の縁にてきざまれ奇妙に切れるものなり、刄切七つあり利常卿御秘蔵の御差料なり

    • 長谷部信連は鎌倉時代前期の武将。高倉宮(以仁王、後白河天皇の第三皇子)に仕えた。平家滅亡後に源頼朝より安芸国検非違使所に補され、能登国珠洲郡大家荘を与えられた。長氏の祖となる。
  • 無銘であり現在は伝盛景作とされるが、作がぶれている。氏房、濃州関住金行などともされる。

 由来

  • 北国で箸の材料として用いる木を「丈木(じょうぎ)」と呼ぶ。
  • この「丈木」を背負って行く者を丈木もろとも斬ったためという。

    丈木の刀の事は、或時薪木をかつぎ参候男を、後ろより大げさに切候へども、何となく歩み申候。不思議に存じ見申候へば、三間計過て二つに成申程の、大きれものゝ由。長さ三尺一二寸有之太刀なり。

 来歴

 黒瀧長氏

  • 能登の長氏に伝わる。
    • 能登国黒滝(石川県珠洲市市川尻)というところに能登長氏の庶流が住んだため、これを黒滝長と呼ぶ。黒滝長の与市景連は上杉景勝に与していたため、天正10年(1582年)4月に能登棚木城を占領した。
  • 前田利家は長連龍にこの黒滝の長景連を討たしめるが、この時、黒滝長景連に仕えていた小林平左衛門が、暇をもらった上で長連龍につき逆に棚木城を攻めた(小林は元々は長連龍の父・続連の臣であったが、続連が横死したため一族の景連に仕えたという)。

 前田利家

  • 8月20日には黒滝長景連の首級を挙げ、その証明に佩刀であった「丈木」を奪って長連龍に献上した。喜んだ長連龍は景連の首と「丈木」を前田利家に届けさせている。この「丈木」は氏房の作であったという。

    小林平左衛門は、黑瀧に心を懸て付廻す。黑瀧は溫井・三宅が備をみるに、影も形も見えざれば、今は是迄と思ひきり、小林を目に懸て付廻し、むずと組て上へ成下へなり、終に黑瀧が首は小林打取り、連龍へ奉らんとせしが、いやまてしばし、此首見知給ふまじ。驗の爲に、黑瀧差料の丈木の刀を取はづし、首に副て連龍の實驗に備へけり。抜群の軍功、いかめしかりける事共なり。丈木の刀の事は、或時薪木をかつぎ参候男を、後ろより大げさに切候へども、何となく歩み申候。不思議に存じ見申候へば、三間計過て二つに成申程の、大きれものゝ由。長さ三尺一二寸有之太刀なり。黑瀧が名は與一郎。

    ただし、現存の「丈木」は氏房以外の極めとなっている(関住金行とも)。また黒滝の長景連は大剛の男であったと言い、二尺一寸五分の「丈木」を佩用したとも思えないため、前田家に入ってから1尺近く大磨上したか、または別物の可能性がある。

  • のち長連龍の家系は加賀前田藩において「加賀八家」の一員となり重用された。
  • 前田利家はこの「丈木」を愛用し、慶長4年(1599年)2月29日に秀頼が伏見の家康と会見した際、利家は家康に斬られることを覚悟し、本刀を帯びていったという。
  • 利家が薨去した際の「大納言様御ひざう之御こし物共」では盛景作となっている。

    一、丁木もりかげ

 前田利常

  • その後前田利常(小松中納言)に伝わり、利常はこれを愛用したという。

 前田光高

  • また寛永12年(1635年)に将軍家光が板橋で鹿狩りを行なった際、前田光高もお供として従っており、この時も「丈木」を指していこうとする。
  • それを聞いた父の前田利常が、「丈木」は切れ物とはいえ下作であり、何か上作の刀を指していくべきだろうといったため、左文字の刀を指して出かけたという。

    寛永十二年大猷院様板橋御鹿狩之節、筑前守様御供に御出被遊候。御腰物は大物切ぢやう木の御腰物を御指可被成候由被仰候段、微妙公御聞被成、不可然思召候。ぢやう木は黑瀧の長が差料、物切に御座候へ共下作物に候。何ぞ上作之物指可被申候。

 前田家代々

  • その後、前田家に代々伝わる。

    丈木の御腰物
    丈木の御腰物長さ二尺一寸五分、中切先にて樋あり。たいはいひらみ也。元來能州黒龍の長某より傳來。

    天和2年(1682年)とみられる記述。長さは2尺1寸5分となっている。

  • 文化9年(1812年)に本阿弥長根がお手入れし、その際に細かく記載を残している。
  • 刃長二尺一寸五分で、反り三分、大切先で表裏に棒樋をかき通す。
  • 鋩子は乱れこんで掃きかけ、焼き詰める。
  • 刃切れが6ヶ所(7とも)もあり、中心は大磨上で目釘孔2個。中心先は栗尻。鞘書きでは濃州金行となっている。

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