一平安代(刀工)
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一平安代(いちのひらやすよ)
概要
- 薩摩、波平派の刀工。
- 父は一平安貞。俗称玉置小市。
- 一平安代(いちのひらやすよ)、主馬首一平安代(しゅめのかみ いっぺいやすよ)
- 延宝8年(1680年)4月19日~享保13年(1728年)11月28日
生涯
- 一平安貞(山城守安貞)の子、父および波平安国に学ぶ。
- 41歳の時、享保5年諸国刀工の調べが行われる。
- 同じ薩摩の刀工である主水正正清(宮原正清、御紋正清)とともに、享保6年(1721年)、八代将軍徳川吉宗の命により江戸にて作刀、その出来のよさから茎に葵一葉紋を切ることを許される。その後主馬首を受領する。
去年冬、吉貴公薩州の鍛匠宮原正清(略)、玉置安代(小市と称す、薩州給黎の人、其祖中村一平安貞、後山城守と称す、初波平安行が門人、後正房に学ぶ)に刀を造らしめ将軍に献ず。於是将軍二人を東武に召す。二人営に登て有司に謁す(是を御腰物奉行と云ふ)。有司宝刀四柄(正宗二柄、貞宗一柄、郷
則重 一柄)を示して曰、是官の重器なり、有司にあらんは本阿弥も見ることあたはす。二人謝して退く(二人四度営に登る)。命を奉じて二匠濱御殿に至り刀を造て献ず。将軍これを賞し、正清を主水正、安代を主馬首に任ず。銀(各十枚)を賜ひ、葵を刀に彫刻することを免さる。
※おかしい部分もあるが原文ママとする
- 49歳で没。
著名作
- 刀
- 銘 一ツ葉葵紋。主馬首一平藤原安代作。鎬造り、庵棟、身幅は広く反り浅く中鋒。表裏に棒樋を掻き流す。生ぶなかご、目釘孔1個。表に将軍吉宗の命による鍛刀の旨と享保の干支があり、裏には棟寄りに「遥奉鈞命於薩州作之享保甲辰年」と長銘が入る。享保9年、将軍徳川吉宗の命を奉じて薩摩で鍛刀し、主水正正清とともに献上したもの。鹿児島県歴史資料センター黎明館所蔵
- 刀
- 銘表 葵文 「主馬首一平安代敬白/享保拝辛卯年九月九日於薩州給黎郡作之」裏「奉寄進三百余社宝前 昔走台云懇菜蘋旌葵葉受爵芥身/家足恒産海溢實 好箇三尺報誉尊神」二尺八寸一分五厘。鎬造り。庵棟。鍛え板目。刃文乱れ。帽子丸。生ぶ茎、目釘孔1個。大正8年4月12日重要文化財指定。
- 刀
- 銘「主馬首一平藤原安代」長72.7cm、反り1.8cm。鹿児島県指定の有形文化財。鹿児島県歴史資料センター黎明館所蔵
- 太刀
- 一平安代が鹿児島市喜入の宮坂神社に享保8年(1723年)9月に奉納した太刀は、大正8年(1919年)3月に旧国宝指定を受けていた。しかし第二次大戦後に進駐軍により押収され、現在も行方不明であるという。
関連項目
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