名刀幻想辞典

酒井宗雅(さかい そうが)

酒井忠以(さかい ただざね)

播磨姫路藩第2代藩主酒井忠以
雅楽頭系酒井家15代
号 一徳庵、宗雅、払袖、尾花庵、逾好庵、不煩。
俳号 銀鵝(ぎんが)

  • 茶人大名として知られ、松平不昧門下の筆頭。

  • 絵画、茶道、能に非凡な才能を示した。

  • 筆まめで、趣味、日々の出来事・天候を『玄武日記』(22歳の正月から)、『逾好日記』(33歳の正月から)に書き遺している。

  • 酒井抱一(忠因)の実兄。

  • 関連:酒井雅楽頭家の江戸藩邸

生涯

  • 宝暦5年(1755年)12月23日、姫路藩世嗣・酒井忠仰(その父は前橋藩9代/姫路藩初代の酒井忠恭)の長男として江戸牡蠣殻町の邸に生まれる。母は松平乗祐次女の里姫。幼名直之助。

    松平乗祐は大給松平家。下総国佐倉藩2代藩主、出羽国山形藩主、三河国西尾藩初代藩主。父の松平乗邑は、吉宗の側近として水野忠之の跡に老中首座となるが、将軍後継問題で吉宗次男・田安宗武を推すも長男の家重が後継となる。酒井忠恭が老中首座となり家重が9代将軍になると老中を解任され出羽山形に転封された。
    【大給松平家】
    松平乗邑10─┬乗祐11─┬乗孝
            乗峰
            乗完12──乗寛13
            里姫
              ├───┬酒井忠以
             酒井忠仰 酒井忠因(酒井抱一)
            【酒井雅楽頭家】
              
         乗薀─┰乗衡(林述斎8─┬林檉宇9
                     鳥居耀蔵
          林錦峯7        林復斎
         【林大学頭家】
  • 宝暦10年(1760年)2月6日江戸大火で、酒井家中屋敷、深川大工町屋敷などが類焼する。

  • 宝暦11年(1761年)弟・栄八(酒井抱一)生まれる。

  • 明和3年(1766年)名を忠以と改名。

  • 明和4年(1767年)5月、将軍家治にお目見え。

  • 明和4年(1767年)病弱だった父・酒井忠仰が江戸内蛎殻町屋敷にて卒。同年閏9月20日祖父・忠恭(姫路藩初代)の養嗣子となる。

  • 明和6年(1769年)12月18日従四位下、河内守に叙任さる。

  • 明和9年(1772年)2月29日江戸大火で酒井家上屋敷類焼する。

  • 明和9年(1772年)7月13日、祖父・酒井忠恭が大手上屋敷にて卒。

  • 明和9年(1772年)8月27日、家督相続。遺領15万石を与えられる。

  • 明和9年(1772年)9月6日河内守を改め、雅楽頭に任じられる。

  • 明和9年(1772年)9月15日江戸城において将軍家治に謁し家督相続の儀を謝す。

  • 11月16日安永改元

  • 安永元年(1772年)12月30日、江戸大塚の酒井家下屋敷より出火。

  • 安永2年(1773年)9月11日江戸発、28日姫路着。

  • 安永3年(1774年)5月15日姫路発、6月5日江戸着。11日江戸城に伺候し、江戸城大手門番を命ぜらる。

  • 安永3年(1774年)12月1日讃岐高松藩主・松平頼恭の娘・嘉代姫を娶る。

  • 安永4年(1775年)7月5日江戸城大手門番を免ぜらる。9月7日長女生まれるも夭折する。

  • 安永5年(1776年)4月13日将軍家治の日光社参に供奉す。後乗として江戸を出発。この年の正月より『玄武日記』を記し始める。

  • 安永6年(1777年)9月10日長男忠道、江戸大手上屋敷に生まれる。11月23日江戸発、12月10日姫路着。

  • 安永7年(1778年)3月11日有馬入湯。13日有馬にて茶会。25日有馬の竹で茶筅2本を作り、「有馬山」と名付ける。4月6日姫路に戻る。

  • 安永7年(1778年)5月16日姫路発、6月4日江戸着。6月11日江戸城に伺候。同月13日再び江戸城大手門番を命ぜらる。10月21日妾腹に男子(二男以寧)生まれる。

  • 安永8年(1779年)5月16日日光山諸社堂修理の助役を命ぜらる。修理主役は松江藩の松平不昧。10月12日三男忠実生まれる。11月7日日光山諸社堂修理成る。

  • 安永9年(1780年)4月2日、将軍家治の名代として、光格天皇即位式参賀のため上洛を命じられる。

  • 安永9年(1780年)侍従。

  • 安永9年(1780年)10月24日江戸芝増上寺、徳川秀忠廟の五重塔を修復する。

  • 安永10年(1781年)2月27日光格天皇即位式の上洛で江戸発。3月13日京都着。将軍名代として参内し、謁を賜い即位式を参賀し、天盃を賜る。4月2日天明改元。

  • 天明元年(1781年)3月22日、再び参内、勅答を拝して吉次の太刀を下賜さる。4月8日江戸帰着。

  • 天明元年(1781年)9月21日江戸発、10月7日姫路着。

  • 天明2年(1782年)4月15日姫路発、5月1日江戸着。12日江戸小川町の屋敷を幕府に献ず。10月25日江戸大手上屋敷の新席にて口切茶事開始。

  • 天明3年(1783年)2月2日桜田固の勤役を命ぜらる。2月13日里村昌逸を招き大連歌の会を催す。12月姫路から江戸に廻漕中の米船が伊豆浦にて難破。12月江戸大手上屋敷に三省亭・静安居その他の新席完備。

  • 天明4年(1784年)静安居茶事(9月・11月)。三省亭茶事(9月・12月)。11月21日未央庵にて松平不昧より台子伝授を受ける。

  • 天明5年(1785年)4月11日溜間詰となる(※武家官位)。11月25日扇橋屋敷の代地として天神下屋敷を与えられる。

  • 天明6年(1786年)1月26日江戸大火のため浜町中屋敷、天神下屋敷とも類焼する。三省亭茶事(2月、4回)、扇橋茶事(4月、5月)。5月6日松平不昧より直伝を受ける。8月松平不昧より「石州三百ヶ条」を伝授さる。9月8日将軍家治薨去。12月28日逾好庵にて茶事。

  • 天明7年(1787年)正月3日逾好庵茶立初。2月29日三省亭にて茶事巡会を始める。3月15日江戸城に伺候し、将軍家斉に謁す。5月1日松平不昧より石州流茶道皆伝を受ける。10月1日家斉の将軍宣下奉告で名代として日光社参を命ぜらる。13日江戸発、20日江戸帰着。この年正月より『逾好日記』を書き始める。

  • 天明8年(1788年)6月8日将軍家斉、酒井上屋敷に臨む。8月14日准三后公尊親〔宜樂院宮公遵入道親王〕御遺物として青紫銅花入を賜わる。8月15日古筆了意より清拙正澄墨跡を入手。江戸冬木より光悦茶碗「鉄壁」を入手。9月2日江戸発、東海道見附駅で松平不昧と出会い茶事。25日京都大徳寺に参詣。10月2日姫路着。6日姫路向屋敷にて家臣慰労の茶事を催す。

  • 寛政元年(1789年)4月14日姫路発。28日駿州柏原の駅で松江に向かう松平不昧と出会い茶事を催し、名物「吹上文琳」を贈る。5月1日江戸着。閏6月17日「さび助」所望の茶事を月亭広坐で催す。6月19日より病臥も、9月8日快。10月5日夜会記にて『逾好日記』止む。

  • 寛政2年(1790年)4月5日松平不昧より茶道秘伝書一括、翠竹庵宗身(松平不昧の弟・蒔田備中守)により伝授さる。

    蒔田定静(まいた さだちか):出雲藩6代松平宗衍の子(松平不昧の異母弟)。備中浅尾の寄合旗本・5代蒔田定安の養子となり家督を継ぐ(6代)。天明元年(1781年)に備中守。瀬戸野田手茶入 銘「秋萩」も同様に松平不昧から蒔田定静を経て酒井宗雅へと渡っている。寛政8年(1796年)12月8日二合半坂下酒井長十郎屋敷千六百五十坪被下、寛政9年(1797年)正月15日授受(千四百三十八坪?)。それまでは小川町四百五十三坪と思われる。
  • 5月15日就封の暇を与えられるも、病のため江戸を出発できず。

    今日痔疾並眩暈にて登城断

  • 寛政2年(1790年)7月17日江戸大手上屋敷で死去、享年36。

    • 諡、超宗院払袖源昭。上野前橋(群馬県前橋市紅雲町)龍海院に葬らる。
  • 11月27日忠道が家督を継ぎ、従五位下、雅楽頭となる。

藩政

  • 姫路藩は天明3年(1783年)から天明7年(1787年)までの4年間における天明の大飢饉で領内が大被害を受け、藩財政は逼迫した。
  • このため、忠以は河合道臣を家老として登用し、財政改革に当たらせようとしたが、忠以は寛政2年(1790年)に36歳の壮年で江戸の姫路藩邸上屋敷にて死去。保守派からの猛反発もあって、道臣は失脚、改革は頓挫した。家督は長男の忠道が継いだ。
    河合道臣(かわい ひろおみ)は姫路藩家老。隼人助。一般には号の河合寸翁(すんのう)で知られる。酒井氏4代に50年余にわたって仕え、姫路藩の藩政改革によって財政再建に貢献した。11歳の時から藩主酒井忠以の命で出仕しはじめた。天明7年(1787年)に父の宗見が病死したため家督1000石を相続、21歳で家老に就任する。茶道をたしなむなど、文人肌であった。
     藩政改革にも取り組み、5代藩主忠学(2代忠以の孫)の舅が将軍家斉の娘・喜代姫であることを巧みに利用し、特産品販売にも成功している。藩内を流れる市川・加古川流域は木綿の産地だったが、従来は大坂商人を介して販売していたため販売値が高くなっていた。道臣は木綿を藩の専売とし、大坂商人を通さず直接江戸へ売り込むことを計画した。これは先例が無かったため事前に入念な市場調査をし、幕府役人や江戸の問屋と折衝を重ねた上、文政6年(1823年)から江戸での木綿専売に成功する。色が白く薄地で柔らかい姫路木綿は「姫玉」「玉川晒」として、江戸で好評を博した。
     茶人である寸翁は和菓子にも造詣が深かった。天保年間には城下の伊勢屋本店を推挙して京や江戸で菓子を学ばせ、帰姫後に藩の御用菓子商とした。姫路を代表する和菓子「玉椿」は、1832年(天保3年)に行われた藩主酒井忠学と11代将軍徳川家斉の25女・喜代姫との婚礼に当たって伊勢屋本店が考案し、道臣が命名したとされる。また、道臣が長崎へ派遣した菓子職人がオランダ商館で南蛮菓子を学んで帰姫し、それが播州における”かりんとう”の祖となったと言われている。硯の収集家でもあり、逸品を百面以上有していたという。

系譜

  • 正室は讃岐高松藩主・松平頼恭の娘嘉代姫で、三男一女を儲けた。
     【前橋】
酒井正親酒井重忠1忠世2忠行3忠清4忠挙5忠相6親愛7
              忠能【旗本寄合】酒井忠績8
    
    【小浜藩】
    酒井忠利1忠勝2忠直3忠隆4──忠囿5
               忠稠1─┬忠菊2─┬親本8
              【敦賀藩】忠音6 忠恭91
                       忠武3
                       忠香4
【姫路藩】
酒井忠恭1忠得
    忠宜
    忠温
    忠啓【旗本】
    忠交【姫路新田藩】
    忠仰─┬酒井忠以2──┬酒井忠道3
        酒井忠因  酒井忠実4─┬酒井忠学5
        (酒井抱一)       酒井忠讜酒井忠宝6
                     三宅康直酒井忠顕7
                          酒井忠敬

【姫路藩主】
酒井忠恭━━忠以──忠道━━忠実━━忠学━━忠宝━━忠顕━━忠績

長男:酒井忠道(ただひろ / ただみち)

  • 姫路藩3代藩主。号 宗徳。
  • 正室は彦根藩13代藩主・井伊直幸の娘・磐。
  • 文化11年(1814年)38歳で弟の忠実に家督を譲って隠居。天保8年(1837年)61歳で卒。
    • 八男忠学:姫路藩5代藩主。叔父忠実の養嗣子となり、家督を継いだ。37歳で死去し、家督は娘婿で養父忠実の孫(自身の従甥にあたる)の忠宝が継いだ。

三男:酒井忠実(ただみつ)

  • 姫路藩4代藩主。20年以上にわたって藩政をとった。

  • 正室は遠江横須賀藩4代藩主・西尾忠移の娘・隆姫

  • 叔父の酒井抱一と交流が深かった。抱一の句集『軽挙館句藻』には、しばしば「玉助」の名で登場し、抱一の部屋住み時代の堂号「春来窓」を継承し、抱一が忠実の養嗣子就任の際に贈った号「松柏堂」を名乗っている。

  • 正室の隆姫も抱一から「濤花」の俳号を贈られている。

  • 天保6年(1835年)、57歳で隠居する。隠居後、鷺山と号した。弘化5年(1848年)死去、享年70。

    • 二男:松平忠固:松平忠学(信州上田藩5代)の養子
    • 三男:西尾忠受:西尾忠固(遠州横須賀藩6代)の養子
    • 五男:酒井忠讜(ただなお)。旗本。この忠讜の長男・酒井忠宝(ただとみ)は、5代藩主忠学の婿養子となり、姫路藩6代藩主となった。忠宝の母は敦賀藩6代藩主・酒井忠藎の娘。正室は酒井忠学の長女・喜曽姫。

その他

狂歌

  • 当時の流行である狂歌も好んでおり、四方赤良(大田南畝)、唐衣橘洲、平秩東作らと交流している。

      十五夜姫路太守の高殿にて
    中秋の月毛の駒の高殿にしおはゝ
        この大下馬の前にとゞまれ
     
    いつ來ても夜ふけて四方長ばなし
        赤良さまには申されもせず
    (千とせの門 大田南畝

  • 酒井宗雅自身も狂歌を詠んでいる。

      雪の日富の岡山本といへる茶店にて
    世を捨て山にゆく人山本で
    又うき時はどこへゆきの日

茶道

  • 雅楽頭酒井家は、祖の酒井重忠以来石州流の茶道を伝えていたが、前橋藩9代/姫路藩初代の酒井忠恭に至って石州流清水派別派二世清水道慶につき石州流を修めた。

  • 安永8年(1779年)忠以25歳の時、松平治郷(出雲松江藩主、松平不昧)の助役として日光東照宮修復を命じられ、半年余り修復工事に従事した前後から親交を深めた。このことから不昧流の茶道に執心するようになったという。

  • 江戸、あるいは姫路藩と松江藩の参勤行列が行き交う際に、治郷から石州流茶道の手ほどきを受け、のちには石州流茶道皆伝を受け将来は流派を担うとまでいわれた。

    大和郡山藩主の柳沢保光も茶道仲間であった。
  • 自ら、あるいは家老河合道臣に命じて多くの茶器を蒐集している。「酒井蔵帳」、「姫路酒井家宝器明細簿」

  • 没後、茶器の多くは松平不昧の許に渡った。

茶会記「逾好日記」

  1. 江戸邸茶会記:天明7年(1787年)正月~天明7年(1787年)9月
    • 自会記:27会、他会記:10会
  2. 江戸邸茶会記:天明8年(1788年)10月~天明8年(1788年)10月
    • 自会記:67会、他会記:38会
  3. 姫路城茶会記:天明8年(1788年)霜月~寛政元年(1789年)4月
    • 自会記:19会、他会記:18会

絵画

  • 弟に江戸琳派の絵師となった忠因(酒井抱一)がいる。
  • 忠以自身も絵に親しみ、伺候していた宋紫石・紫山親子から南蘋派を学び、『兎図』(掛軸 絹本著色、兵庫県立歴史博物館蔵)や『富士山図』(掛軸 絹本著色、姫路市立城郭研究室蔵)等、単なる殿様芸を超えた作品を残している。

刀剣

  • 雅楽頭酒井家では代々刀を打っており、忠以の作刀も残っている。
脇指
銘 以。姫路神社蔵(姫路市立美術館寄託)
無銘