名刀幻想辞典

本阿弥光忠

本阿​​弥光​​忠(ほんあみこうちゅう)

本阿弥家十三代当主
三郎兵衛
忠陳

生涯

  • 本阿弥宗家十二代光常の養子となる。

  • 通称は三郎兵衛。諱は忠陳。

  • 享保10年(1725年)9月20日没。

  • 折紙は元禄9年(1696年)12月~享保10年(1725年)。

  • 12代光常とともに「元禄折紙」または「元禄金銘」「元禄朱銘」と呼ばれる。

  • 墓は光悦寺。

    光常及光​​忠墓
    同所。光達墓の左に並ぶ、表面に
    南無妙法蓮華経
         至信院光​​忠日深居士
         通□(辶哀)院光常日行居士
         至誠院妙諦日語霊尼
         通性院妙春日□霊尼
    右側に寶永七庚寅八月十五日、左側に寶永三丙戌年十月十五日と刻す、光常は光達が男、家業を継ぎ、光​​忠は光常が男、家を継ぎ、十三代となる、子光勇より世々相傅へ二十一代道太郎氏に及ぶ。

享保名物帳

  • 八代将軍吉宗の命により、享保4年(1719年)11月に享保名物帳を献上したとされる。
  • 光​​忠は、収集した情報を記録し「享保書上げ」という刀工調書にまとめた後、さらにそれを整備したものを献上している。前者を副本と呼び、後者(献上分)は正本と呼ばれている。
  • 詳細は「享保名物帳」の項を参照のこと。

千秋万歳の長円

  • 宝永4年(1707年)7月18日に将軍家宣の子・家千代の七夜祝いに本阿弥光​​忠が献上した短刀。
  • 長七寸三分、平造り、真の棟。
  • 鞘書に「智幻院様御道具三十三 宝永四年亥七月十八日御七夜御祝儀に付 千秋万歳長円御脇指無代長さ七寸三分 本阿弥三郎兵衛上」
    当時、このような祝儀の際に、本阿弥家・後藤家から献上するのが例となっており、後藤家からは菱紋の三所を献上した。
     なお刀剣書で「綱吉の子」と書かれるが、家宣の子・家千代である。当時、家宣(甲府綱豊)は、将軍世嗣に正式に定まり、「家宣」と改名して綱吉の養子となり江戸城西の丸に入っていた。家千代は肥立ちが悪く、宝永4年(1707年)9月28日に夭折した。戒名:智幻院殿露月涼華大童​​子。
    なおややこしいことに、延宝7年(1679年)5月6日に生まれた綱吉の子・徳松の七夜にも長円作の「千秋万歳」銘の短刀が贈られており、こちらの贈り主は稲葉正則(小田原藩2代、老中)である。長七寸三分五厘。平造り、真の棟。表に摩利支天、裏に鶴亀の彫物。また上記家千代に贈られたものは「長圓」銘だが、徳松に贈られたものは「長円」銘である。徳松も数え五つの時、天和3年(1683年)閏5月28日に夭折した。戒名:浄徳院殿霊岳崇心大​​童​​子。

光​​忠折紙

  • 一般に本阿弥家の出す折紙は時代が下ると信用度が落ちるが、この本阿弥光​​忠の出した折紙は絶対的に信用されており、たとえ無銘刀であっても在銘と同じ価値があるとされる。

差料

  • 但州住国​​光の短刀を差料とし、「本阿弥法成寺」の号がある。「埋忠押形」所載。但州国光は通常法成寺国​​光と呼ばれる。