猿正宗

※当サイトのスクリーンショットを取った上で、まとめサイト、ブログ、TwitterなどのSNSに上げる方がおられますが、ご遠慮ください。

猿正宗(さるまさむね)  

細川家に伝来したという架空の刀

  • 肥後熊本藩細川家の飛脚二人が、国許から江戸へ向かった時の話。
  • 駿河の薩堆山(さったやま)に差し掛かったのが朝の早い時間でまだ通行人も少ない時分で、海から大ダコが現れて一匹の大猿を海へ引きずり込もうとしていた。
    静岡県の由比と興津の間は、薩堆山が海岸に突き出す地形となっており、古くは波にさらわれぬように海岸線の波打ち際を駆け抜ける必要があった。江戸幕府により幾度か工事が行われ、寛文2年(1662年)には山側に迂回する薩埵峠が整備されたが、それでも歌川広重の「東海道五十三次」の由井 薩埵嶺に描かれるように難所であった。しかし幕末の嘉永7年(1854年)に起こった安政東海地震によって海岸線が隆起したために安全に通行できるようになった。現在ではその海岸線を東名高速道路、国道1号線、JR東海道線が並行して走っている。
  • 大猿が必死に岩角にしがみついていたため飛脚が面白がって見物していると、いよいよ引きずり込まれそうになったため、飛脚は大ダコを切って猿を助けてやったという。
  • 助けられた大猿は喜んでいたが、突然飛脚の御用箱を奪うと山中に逃げてしまった。
  • 飛脚は驚いて追いかけたが山中で見失ってしまう。飛脚たちが途方に暮れていると、遥か彼方に大猿が待っていて御用箱を返してくれた。さらに大猿は長い菰包みを持っており、それも飛脚に差し出したあと山中に消えていった。
  • 御用箱を取り戻した飛脚たちが江戸についてから菰包みを開けてみると、棒鞘に入った刀であったという。飛脚は驚き細川の殿に委細を申し上げ、刀も献上した。研がせてみたところ正宗作であったため、細川家の殿様は殊の外喜び、飛脚にも褒美を与えたという。
  • 以上は松平頼平著「秋霜雑纂」に記されているが、これは架空の話だという。