鍋藤四郎

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鍋藤四郎(なべとうしろう)  

脇指
藤四郎作

  • 詳細がわからない短刀。

由来  

  • 恐らく鍋を貫いたという逸話があるのだと思われるが、不明。

来歴  

  • この「鍋通し」については書物によって混乱があり、来歴がよくわからない。

家康→秀頼  

  • 最初に登場するのは慶長16年(1611年)3月の二条城会見であり、そこでは家康が秀頼に贈ったとする。※ただし書物により作が異なる。

    (慶長16年3月)廿八日(略)又京にては秀頼公二條城にまうのぼらる。(略)秀頼公は唐門外にて下乗あり。 大御所玄関前莚道まで出むかへまたひ。御主座は北に設らる。(略) 大御所まづ御盃を遣はさる。其時左文字の御刀(大左文字)。鍋藤四郎の御脇差をひかせ給ひ。此外大鷹三聯。馬十疋をくらせらる。其御盃返し進らせらるゝとて。一文字の刀(南泉)。左文字の脇差(太閤左文字)を捧げらる。此外秀頼公よりは眞盛の太刀。黒毛馬一疋。金三百枚。猩々緋三枚。緞子廿卷進らせらる。此間高臺院の方こなたにおはし御對面ありて。同く御杯まいる。秀頼公又義直卿へ光忠太刀。頼宣卿へ守家の太刀。各金百枚づゝそへて進らせられ。(略)清正は饗席につかず。はじめより秀頼公の側をはなれず。御三獻はてし時。大坂の母君も待わび給ふべし。はや御暇をと申せば。大御所げにもとて歸路をうながし給ふ。かくて二三の間まで送らせ給へば。秀頼公蹲踞ありて。これまで出御恐懼にたへざる旨のべらる。有樂いかにも右府申さるゝ如しと取合せらる。 大御所いかで御送り申さではあるべきとて。また玄關の筵道まで出まし。互に座につき給ひ。慇懃に一拜して秀頼公はまからる。

秀頼「鍋通し正宗 

  • まず豊臣家御腰物帳の一之箱の追記部「大御所様ゟ被進之候 但慶長十六年三月御上洛之時」に、「鍋通御脇差(、、、、、)」として記載されている。

     右之外
    大御所様ゟ被進之候 但慶長十六年三月御上洛之時
    一、鍋とをしの御脇差 此箱え入 但太閤様以後
     
    同時え被進之
    一、大左文字之御刀 
    (御太刀御腰物御脇指 太閤様御時ゟ有之分之帳)

  • いっぽう「慶長五年ゟ太閤様以後進上御腰物帳」では、「鍋通正宗(、、)」となっている。

      右之外
    一、鍋通正宗御脇指  大御所様ゟ被進之一之箱え入
    一、大左文字御刀  大御所様ゟ被進之一之箱え入
    慶長五年ゟ同拾八年十二月迄 御太刀御腰物御脇指方々被遣之帳)

  • いずれの場合も、二条城会見で家康より贈られた「鍋とをし(鍋通)」と「大左文字」がセットで並んでいることから、これが二条城で贈られた「鍋藤四郎」で間違いないと思われる。

前田利長  

  • 慶長7年(1602年)の正月に、前田利長が「鍋藤四郎」を拝領したという記事がある。これが同物であるとすると、秀頼に贈られたものが再び徳川将軍家に渡り、その後、秀忠より前田利長に贈られたということになる。

    大納言家(秀忠)、寝殿に御出ありて、利長の座を遥かの下に設けらる、對面の儀ども巖重に、饗應の式また善盡せり、利長此時は悔しき事に思はれしとぞ聞えし、黄金百枚、白銀千枚、時服百領を獻ぜらる、大納言家より、鍋藤四郎の御脇刀に、黄金百枚、馬鷹をそへて賜はる
    (藩翰譜)

    加賀黄門利長關原の事終りて後。關東に參るべきよしかねて仰つかはされしに。折ふし神祖は京坂にわたらせ給ひし比にて。公御みづから利長を迎へ給はんとて。板橋の驛のほとりに御出ありて。見參の事を悦び仰らる。利長かねてかゝるべしともおもはざりしかば。よろこぶ事あさからず。あくる日まうのぼりしに公には寢殿に出御ありて。利長が座ははるかの下にまうけられ。對面の儀ことに嚴重にして。饗應の樣また善美をつくせり。利長この時はいと口おしき事におもひしとぞ聞えし。金百枚。銀千枚。時服百を獻り。公よりも鍋藤四郎の御脇差に。金百枚。馬。鷹そへて給れり。此後には黄門いかゞ思ひしにや。弟利常に國ゆづり。をのれは引こもり居て。再び關東へは參らざりしとぞ。
    (台徳院殿御実記)

    藩翰譜およびそれを引いた台徳院殿御実記のいずれでも「鍋藤四郎」とする。なお秀忠が権大納言に転任したのは、慶長6年(1601年)3月28日。

享保名物帳  

  • 秀頼に贈られた後に、藤四郎吉光から正宗へと極めが変わった可能性があり、そうだとすれば、秀頼より後の来歴もつながってくる。
  • しかし、加賀前田家から本刀を贈られた当の人物である「右衛門督」が誰を指すのかも不明であり、この後は書物にも登場せず闇に消えてしまう。
    池田利隆、毛利輝元、六角義治、山名祐豊、尼子義久らが任官している。


混同の可能性  

  • 同様の号を持つものに「鍋通し正宗」、「鍋通貞宗」がある。
  • これらはいづれも慶長16年(1611年)3月の二条城会見(家康と秀頼が会見したもの)での贈答物に登場するもので、書物により、作が藤四郎吉光正宗貞宗と変化するために混乱があり、よくわからない。
    ※ただし極めが変わったと考えれば「鍋藤四郎」と「鍋通し正宗」はつながっている。

よく似た名称の刀剣  

  • 下記の刀剣は名称が似ているが別物である。
鎬藤四郎
秀吉の遺物として伊達政宗が拝領した脇指。のち将軍家に献上され、明暦の大火で焼失した。字形が似ているが、この「鎬」は凌ぎ造りであることに由来する。
鍋島藤四郎
鍋島家から将軍家。代々将軍世継に伝来した。