後藤祐乗


※当サイトのスクリーンショットを取った上で、まとめサイト、ブログ、TwitterなどのSNSに上げる方がおられますが、ご遠慮ください。

 後藤祐乗(ごとうゆうじょう)

室町時代の金工家
後藤四郎兵衛家の始祖

 来歴

  • 藤原利仁の後裔ともされる後藤基綱の子。
  • 幼名は経光丸、通称は四郎兵衛。
  • 美濃の出身で、初め足利義政の側近の軍士として仕えるが、18歳の時同僚の讒言により入獄。獄士に請うて、小刀と桃の木を得て神輿船14艘・猿63匹を刻んで見せたところ、その出来栄えに感嘆した義政によって赦免され、装剣金工を業とするように命じられたという。
  • 足利将軍家から近江坂本に領地300町を与えられた他、従五位下・右衛門尉に叙任された。

 作品

  • 小柄(こづか)・笄(こうがい)・目貫(めぬき)の三所物(みところもの)が主となっている。
  • 署名入りのものは少なく、後世の極め銘が多い。

 後藤四郎兵衛

  • 後藤祐乗の後裔は、織田信長豊臣秀吉の刀剣装身具、大判鋳造の御用達も務めた。
  • 関ヶ原の後は徳川家康にも重用され、大判の鋳造と墨判および両替屋の分銅の鋳造を請負った。
    小判座の初代当主である後藤庄三郎光次は本姓が橋本あるいは山崎で、後藤四郎兵衛家の職人として働く中、五代後藤徳乗に抜擢され後藤を名乗ることを許されたという。


 関連項目


Amazonプライム会員無料体験