釣鐘切


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釣鐘切国行(つりがねきり)  

太刀
来国行

由来  

  • 釣鐘(釣り金)とは、(しとみ)を釣り上げる金具のこと。これを切ったことにちなむ。

来歴  

  • もとは本國寺の所蔵。
  • 秀吉に献上される。

    大物きれ之刀たづね候ニ付、つりがねきり之刀給候、まんぞく存候

  • 慶長3年(1598年)秀吉薨去後の形見分けで大谷吉継へ贈られる。

    大谷形部少輔(大谷吉継) 国行

  • 慶長5年(1600年)の関が原の戦いにおいて、大谷吉継は西軍の最右翼に位置し東軍の藤堂高虎・京極高知両隊を相手に奮戦する。しかし午後になって小早川秀秋隊の裏切りにより横撃を食らい、脇坂・朽木・小川・赤座の4隊までが小早川隊に同調すると大谷隊は壊滅した。
  • 吉継の死後、本刀は伊予西条藩の松平家に伝来する。
  • 大正13年(1924年)6月同家の売立で出され、小此木信六郎が入手。この時に拵えを新調したという。
    小此木信六郎は医師で日本の耳鼻咽喉科草創期に功績のあった人物。弟で考古学者の小此木忠七郎とともに愛刀家で知られる。

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