鷲の巣行光


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 鷲の巣行光(わしのすゆきみつ)

脇指
行光

  • 「脇指」と書かれているが、時代、また同時に贈られている刀から見て、現銃刀法区分で言う「短刀」であると思われる。

 由来

  • 不明

 来歴

 三好政康

  • 元は、三好政康の所持という。

    秀元卿歸らせられ、明る朝、御出仕有しに御膳の上にて御盃を頂戴まします。其時秀吉公、御諚に是は三好長閑(釣竿斎三好政康)といひし者、所持せし行光の御脇差鷲の巣といふと仰せられ、又光忠の御腰物是は御腰を放されず不断ささせられ候へとも下さる由、御意にて御兩腰を拝領ましまして云々
    毛利秀元記)

 秀吉

  • のち、秀吉の所有となる。

 毛利秀元

  • 天正20年(1592年)、毛利秀元に下賜される。

    秀元卿、廣島におはせしに、秀吉公、名護屋御下向に付、藝州の内、西條と申す所御泊なれば、御迎として、秀元上らせ給ひし、秀吉公則ち御對面ありて、早々廣島へ罷歸り、御待設け仕るべしとの御諚にて、夜通しに歸らせ給ふ。翌日廣島より、一里餘り御迎に出でさせ給ひしに、上様御供衆の内二人参られ秀元へ躍懸をなされ候間、見物仕るべき由、御諚候なり、(略)信長以来の儀共御物語ありて、各に聞かさせられしとなり。秀元歸らせられ、明くる朝御参ありしに、御膳の上にて御盃頂戴あり。其時御諚に、是は三好長閑(釣竿斎三好政康)といひし者、所持せし行光の御脇差鷲の巣といふぞと仰せられ、又光忠の御腰物、是は御腰を離されず、不断差させられ候を、下さるゝの由、御意にて、御両腰を拝領ましゝゝて、御立の時、又御馬鞍置拝領させられ
    毛利秀元記)

    翌日早朝、大夫殿(右京大夫秀元)被召寄、御腰物光忠御脇指行光被遣候
    卯月十四日(天正廿年)  安国寺
                 恵瓊(花押)
    (毛利家文書 一〇四一 安国寺恵瓊外二名連署起請文)

    秀吉より、光忠の刀、および行光の短刀を秀元に賜った。

  • その後「鷲の巣行光」がどうなったのかは不明。

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