鷹匠切

鷹匠切(たかじょうぎり)  

太刀
国俊
三尺一寸

由来  

  • ある時、室町幕府の6代将軍足利義教が鷹匠を唐竹割りにしたが、鷹匠の体はしばらくそのままで、さらに鷹匠の腕に止まっていた鷹も驚く様子がなかったという。
  • あまりの斬れ味の素晴らしさにちなんで名付けられたもの。

来歴  

  • のち義教から周防・長門・豊前・筑前の守護であった大内持世が拝領し、家宝とした。
    大内氏は、周防大内氏11代当主大内盛見が大友氏・少弐氏と戦って筑前で敗死した後、跡継ぎをめぐって家中で騒動が起こる。幕府の仲介を受け、さらに国人衆の支持を得た大内持世は12代当主となる。6代将軍足利義教も持世を支持し、修理大夫の官途を授けている。足利義教は赤松満祐により殺害される(嘉吉の乱)が、大内持世もこの時に受けた傷が元でひと月後に死ぬ。
  • その後、持世の四代後の周防大内氏16代当主の大内義隆に伝わる。
  • 大内義隆は、この「鷹匠切」を豊前国守護代の杉重矩(民部少輔)に与えている。さらに大和興武が杉に頼みこんでこれを譲り受けている。
  • 弘治元年(1555年)の厳島の合戦のとき、大和興武は陶晴賢に与するが、毛利方の香川光景に組み伏せられ捕虜となっている。
  • それから2ヶ月後、毛利元就は香川光景に命じ大和興武を殺させている。光景は興武から奪った「鷹匠切」を元就に献上するが、元就は香川家の家宝にせよといい香川光景に与えたという。


香川勝雄  

  • 香川光景は安芸香川氏で、この一族に豪勇で知られた香川勝雄がいた。
  • 香川氏が毛利氏に従うと勝雄もそれに従い、数々の戦で活躍した。永禄12年(1569年)尼子氏は美作に侵入し、毛利方の高田城を取り囲んだ。
  • この時高田城には香川氏が籠もっていたが、城兵の中には旧尼子家臣がいたことから内通者が続出し、城方は苦境に立たされる。
  • 香川勝雄はその混乱に乗じて攻撃を加えてきた尼子・三浦連合軍と、その支援に来た宇喜多勢と戦い、討死した。
  • 勝雄は15歳にして身の丈六尺八分(約2m)もあり、15人力であったという。そのためか、大蛇を退治したという伝説が残る。

    郎党に、香川右衛門太夫勝男と云う者あり、十五歳の春、軍場に赴き敵二人を討ち取りしより已来、随所の戦功不可勝許、其の骨柄長六尺八分有て骨太にして眼逆さまに裂け、はな高く口廣くおとがい反りて頬髭荒々と生い、腕には力瘤幾ら共なく累々として毛は猪の怒毛の如くに生い茂り、色真黒にして十五人が力を蓄えたればさながら寺前の二王黒染に塗り出したるに殊ならず云々

「蛇王池物語」  

阿武山の大蛇  

  • 香川氏の治めていた阿武山(広島県)には、その中腹に何千年もの間生き続ける大蛇が住んでおり、人里に降りてきては害を与えていたという。
  • ある時香川光景がこの大蛇退治を行うべく家中の勇士を募ったところ、香川勝雄がこれに志願した。そこで光景は家伝来の三尺一寸の義元の太刀を勝雄に与える。
  • 天文元年(1532年)の2月27日、勝雄は義元の太刀に二尺三寸の左文字の打刀を差添え、ひとりで馬に乗り山へ入っていった。
  • 勝雄が中迫まで登ったところ、屏風を立てたような岩があり、そのそばに大木に頭を載せた大蛇が横たわっていた。
  • 大蛇が襲ってきたところを勝雄が太刀を一閃させ大蛇の首をはねると、その体から流れでた血は川のように流れだし、遂には沼となり大蛇の首が沈んでしまったという。この池は「蛇王池(じゃおういけ)」と呼ばれた。さらに大蛇の首が初めに落ちたところを刀延(たちのぶ)、二度目に飛び入ったところを、大蛇の首から流れる血が箒のように噴きつつ飛んだので箒溝(ほうきみぞ)と呼んだという。
  • 大蛇は死ぬ間際に勝雄に呪いをかけており、その呪いにより盲目になってしまう。近くの泉で眼を洗ったところ眼が見えるようになったため、その泉は「御奇良功水(ごきろくすい)」と呼ばれ眼病に効く霊験あらたかな水として知られる。
  • なお退治の際に使った義元の太刀は、安芸香川氏の祈祷所であった光廣神社に奉納されていたが現在は失われている。

蛇落地  

  • この蛇王池は、現在の広島市安佐南区八木にあったとされ、その後、このあたりは「蛇落地(じゃらくち)」と称していたという。この蛇落地周辺は、2014年8月の広島市の土砂災害で土石流が発生したところでもある。

「キツネ岩物語」  

  • この近傍の広島市立八木小学校の一角に、高さ2.8m、周囲6.8m、重量約10tのキツネ岩と呼ばれる岩がある。
  • 元は八木小学校から約250m南側にある皆川山近くの水田に上部約60cmを出して埋没していたもので、当時の太田川は現在よりも阿武山側に流れており、このキツネ岩はその川面に浮かんでおり、船を沈める難所となっていた。
  • 後に川の流れる位置が変わり、キツネ岩周辺は田んぼとなる。戦国時代、この大岩の上に美しい女が立ち、笑って人をバカにして踊るという不可思議な現象が起きた。これを訝しんだ香川勝雄は、女が現れるのを待ち、ついにその女を退治した。退治された女は人間ではなく、実は大きな年老いたキツネであったという。