飛竜丸

飛竜丸(ひりゅうまる)  

伯耆安綱の作
飛龍丸安綱

来歴  

  • 長宗我部家、家臣瀬尾家伝来の太刀
  • 明治期には岩下方平を介して樺山資紀が購入し所有していたが、日露戦争後に友人であった東郷平八郎に贈ったという。


  • 明治のころ、薩摩藩出身の岩下方平(京都府権知事や大阪府大参事、元老院議官、貴族院議員)が京都に滞在していた時のこと、兼ねて懇意にしていた瀬尾某の後家が訪ねてきて、「私の家は、元は土佐の長宗我部の一族で、長宗我部繁栄の頃には一方の物主をも承った家系であり、その後は零落して京都の町人となっている」という。
  • 瀬尾家には先祖から伝わる「飛龍丸」という伯耆安綱作という太刀があり、重宝なので本来出すことはできないのでが、息子が放蕩無頼にて金銭を浪費するのみならず、家の道具も多く持ちだして売り捨てているので、この飛龍丸もいつ盗み出すかわからないので、当分の間預かってほしいと頼み込んだという。
  • その後、その後家が亡くなり、預かった岩下方平も亡くなる。放蕩息子も日清戦争の頃死ぬが、瀬尾の後家には一人娘がおり、某家に嫁していた。その息子を引取り瀬尾家を相続させることになり、家勢も回復したという。
  • その頃になってそういえば家宝の飛龍丸はどこにいったという話になり、母(後家の一人娘)が岩下家に預けていると祖母(後家)より伝え聞いているというので、早速岩下家に行くと、当代は明治12年に生まれたものでそんな話は聞いたこともないという。
  • 昔の家従に聞いてみると、先代がなくなる際に、様々な道具を売り払ったが、その中に飛龍丸があり、樺山資紀に買い取ってもらったという。
  • 瀬尾氏は樺山家に行き訪ねてみると、そういう話もあったが、友人の東郷平八郎が戦功を立てた際に祝儀として贈ったという。さらに東郷家を尋ねると、同苗の者に譲ったために手元にないといわれと、転々と探しまわった話が伝わる。