雷切

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雷切(らいきり)  

脇指
無銘
号 雷切丸
戸次道雪所用
1尺9寸3分(58.5cm)、反り2.4cm
立花家資料館所蔵

  • 戸次道雪とは立花道雪(戸次鑑連)のこと。
  • 代千貫文という延宝年間の折紙がつく。

由来  

  • はじめこの刀は、柄に鳥の飾りがあったことから「千鳥」と呼ばれた。
  • 道雪が35歳の頃というから天文17年(1548年)ごろのことである。故郷の藤北にて、炎天下の日、道雪は大木の下で涼んで昼寝をしていたという。
  • その時に急な夕立で雷が落ちかかったため、道雪は枕元に立てかけていた千鳥の太刀を抜き合わせて雷を斬り、木の下を飛び退いた。この逸話により「千鳥」は「雷切」と呼ばれるようになったという。

    雷切丸 無銘 壱尺六寸七分半 御脇差
    右ハ道雪様御指也、雷切ト申ス訳ハ、鑑連公、未ダ豊後国大野郡藤江之御館ニ被成候節、炎天之頃、大木ノ下ニ御涼所、御シツライ、此所ニ或時被遊御昼寝候節、其処ニ突然落雷有之候、御枕元ニ御立被置候処ノ千鳥ト云フ御太刀ヲ被遊御抜合雷ヲ御切被成早速御立退被成候、夫レヨリ以来御足御疲被成、御出陣ニモ御乗輿ニテ被遊御出候、然共御勇力御勝レ被成タルユヘ常体之者ヨリ御丈夫成御座候、且又此御太刀最前ハ千鳥ト御附被候共、雷御切被成候以後其印御太刀ニ有之故夫ヨリ此御太刀雷切ト改候
    好雪様御代、大膳様御逝去被成候節、御道具皆御払ニ相成可申之処、此御太刀モ御払相成申之処、矢嶋石見殿御聞付被成、此太刀ハ払杯江差出候物ニ而無之、大切之御重宝ニ而有之候間、御取被成候由
    夫ヨリ矢嶋采女家持伝居申候処、鑑通公御代、宝暦九年卯之御発駕前、矢嶋周防進上之、但白鞘ニ而差上ル、三原之由承伝之処、同年六月御拭之節、本阿弥熊次郎江見セ申候処、相州物之由申候
    宝暦十辰年十二月、右雷切差上候、為代リ大和守安定御小サ刀被下之、但白鞘、雷切被成候年号不相知、追而吟味之上、書載之事

    好雪様:2代藩主立花忠茂、大膳様:立花忠茂六男の立花茂辰、鑑通公:7代藩主立花鑑通

  • 道雪は、この時の落雷による衝撃で生涯半身不随となった。その後は手輿に乗って出陣し、右手には備前清光の二尺七寸の太刀、左手には小銃をもって指揮したという。
  • そして「万一味方の敗色が見えた時には汝ら我を捨てて逃げよ」と下知したため、近習は大将である道雪を敵中に残して退くこともできず、各々必死になって勇戦したため、戦はいつも勝利であったという。
    ただし、永禄年間(1560年ごろ)においても道雪が騎馬武者として敵陣に斬りこんだという記述を見ることができるため、半身不随になったのは更にあとの可能性がある。さらに後の天正年間になると、巷間よく知られるように輿に乗り采配を振るった記録が登場する。

来歴  

  • その後立花宗茂に伝わり、以後柳川藩立花家に伝わった。
  • 昭和にも立花公爵家にあり、焼けた跡があったという。
  • 現在は立花家資料館所蔵。


竹俣兼光  

  • 竹俣兼光もまた「雷切」と呼ばれることがある。