野狐丸

野狐丸(のぎつねまる)  


古備前友成

由来  

  • 矢島家先祖の矢島清兵衛が24・5歳のころ、秋田郡岩城において狐に化かされ、周囲が見る見る川になった時、腰の古備前友成が勝手に抜け出し、白狐の首を切り落とした。
  • このことから名づけたという。

来歴  

  • 出羽の豪族由利十二頭の矢島家伝来。
    矢島家は由利郡矢島に勢力を張った武士団。仁賀保氏とは近い同族関係にあったが、一族内の主導権争いから終始敵対した。仁賀保氏と争い、四代続けて当主を討ち取るなど宿敵の関係にあった。文禄の役の際の領国の混乱に乗じて仁賀保氏に滅ぼされたとされる。
  • 戦国期の矢島満安は剛勇で、満安の愛馬も陣貝の音を聞くと勇み立って大豆八升を食うので、八升栗毛と名付けられた駿馬であったという。

    身長六尺九寸、熊の如く鬚有りて尋常の五、六人して喰うべき飯を一人して食し、其の上大なる鮭の魚の丸焼を一本引けるに首尾ともに少しも残さず食し、弥々数の料理を露も残さず。酒を飲むに五器の大なるを以って七度まで傾けたり

  • 矢島氏以外の仁賀保氏ら由利十二頭は最上氏と親交を深め、矢島氏は孤立する。満安の弟・与兵衛は最上氏に唆され謀叛を起こし、また「文禄の役」で出兵した隙を狙い仁賀保氏を旗頭とする由利十二頭は一斉に矢島氏へ侵攻、豪勇を誇る満安も衆寡敵せず妻の実家である西馬音内城主の小野寺茂道のもとへ逃亡する。最上義光は小野寺氏にも謀略をかけており、茂道は宗家・小野寺義道の疑いを受け軍勢を差し向けられ自刃。満安は、自らが茂道に対する疑惑を招いたとして翌文禄2年(1593年)、西馬音内城内で自刃、矢島氏は滅亡した。
  • 主君の岩城城主岩城貞隆に献上される。※年代的に献上したのは矢島満安と思われる。
    岩城貞隆は佐竹義重の三男常隆の養嗣子となり、天正18年(1590年)に常隆が病死したため、家督を継いだ。関ヶ原の戦いでは当初は東軍方についたが、兄の佐竹義宣の命に従って上杉景勝征伐に参加しなかったため、戦後の慶長7年(1602年)に義宣と共に処分を下された。
  • 寛永3年(1626年)4月2日、貞隆の四男義隆は伯父に当たる秋田城主佐竹義宣の養子に迎えられ(佐竹義隆)、「野狐丸」をもって婿入りした。
  • 佐竹家では元禄年間に本阿弥光忠に鑑定に出し、五十枚の折紙が付いた。
  • 明治になると秋田市の辻家が買い取った。


関連項目  

  • 野干丸」…※野干とは狐の異名。