車屋藤四郎

車屋藤四郎(くるまやとうしろう)  

短刀
銘 吉光
名物 車屋藤四郎
八寸二分

  • 享保名物帳所載(ヤケ)

    車屋藤四郎 在銘長八寸二分 無代 御物
    泉州堺に車屋宗瑞と申者の所持故名付、表裏刀樋、影樋、乱刃、忠(なかご)切先釘穴多し

由来  

  • 堺の商人車屋宗瑞所持にちなむ。
    • 謡曲「車屋本」の編集者で知られる車屋道晣の一族。

来歴  

  • のち筑後久留米藩主有馬氏の所蔵となる。
    初代藩主有馬豊氏は茶道も嗜む文化人で、利休七哲の一人に数えられることもある。徳川家の御伽衆として遇され、慶長5年(1600年)6月には家康の養女連姫(松平康直の娘)を娶っている。久留米藩に転封されたのは元和6年(1620年)。
    2代藩主有馬忠頼は、慶長8年(1603年)に生まれ、寛永19年(1642年)の父豊氏の死去により家督を継いで藩主となっている。
  • 明暦元年(1655年)7月に後を継いだ有馬頼利が、2代藩主有馬忠頼の遺物として正宗の刀と、吉光の脇差を献上しており、このうち吉光が本刀であるとされる。
  • その後将軍家所蔵となるが、明暦三年(1657年)の明暦の大火で焼失。




車屋道晣(くるまや どうせつ)  

  • 江庵、吟松斎。入道名は宗精、のち宗晣。※「晣(せつ)」は、日へんに折
  • 鳥養宗晣は、屋号を「車屋」とし、道晣。後に車屋宗晣と名乗ったという。
  • 能楽師、金春喜勝の右筆を務めるうちに謡本の節付けに熟達する。
  • 慶長7年(1602年)死去。
  • その生涯については、断片的なことしかわかっていない。

「車屋本」  

  • 謡曲「車屋本」の編集者で知られる。

    車屋道悅
    今春大太夫ノ弟子也、当津ニ来ツテ車町中濱ニ住シテ家流ノ中ヨリ一流撰出シテ聲ヲ吟ジ自筆ニシテ板ニ彫行車屋本ト世ニ用ハ是也、元ハ七十五番ナルヲ再加増シテ百番トナス

    其比は番数の定めもなかりしか、金春大夫の弟子泉州堺の住車屋道悅といふもの一流節奏して百番としるし自筆して印行す、所謂車屋本是也

鳥飼宗慶の孫  

  • この「車屋本」を書写または出版したのが鳥養宗晣であり、宗晣の父は宗嘴、その父が「鳥飼来国次」などに名を残す鳥飼宗慶である。
    鳥飼宗慶──宗嘴──道晣(道悅、宗晣)
  • 宗慶の出身地である摂津鳥養には、愛幸太夫を座長とする「鳥養猿楽」があり、のち大和猿楽に吸収されていったとされる。すなわち、観世、宝生、金剛、金春の四座である。

秀次の近侍  

  • 文禄3年には関白秀次に仕え「謡抄」の編集に関わる。

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