豊後来国光

豊後来国光(ぶんごらいくにみつ)  

太刀
銘 来国光
朱銘 豊後拝領
刃長二尺七寸九分

  • 来一門来国光
  • 表裏に二筋樋。鋩子は小丸。中心はうぶ、目釘孔1個。
  • 来国光」の三字銘。「豊後拝領」と朱銘が入る。

由来  

  • 朱銘の「豊後拝領」にちなむと思われる。

来歴  

  • 寛永18年(1641年)8月、後の4代将軍家綱の誕生を祝して松平定綱が献上したもの。
    定綱は伊勢桑名藩主。父定勝は荒川次郎九郎の養子となるが家康の命により荒川氏から松平氏に復する。この時の縁で「鳴神兼定」が久松松平家に伝来する。
  • 本阿弥家の金8枚の折紙がつく。
  • 家綱は、のちこれを陣刀にして目抜き・縁・鍔に葵紋を据えた。
  • 寛文3年(1663年)正月、老中阿部豊後守忠秋が拝領。
    阿部忠秋は老中として活躍し、江戸幕府初期の名臣として名高い。後世の歴史家から「(酒井忠勝・松平信綱などは)みな政治家の器にあらず、政治家の風あるは、独り忠秋のみありき」「細川頼之以来の執権」と高く評価される。鋭敏で才知に富んだ松平信綱に対し、忠秋は剛毅木訥な人柄であり、信綱とは互いに欠点を指摘、補助しあって幕府の盤石化に尽力し、まだ戦国の遺風が残る中、幕政を安定させることに貢献した。
  • 以後、忍藩主阿部家の重宝となった。