薄緑

薄緑(うすみどり)  

太刀
折り返し銘 長円
源氏重代
源義経所持

長円作  

  • 豊前の長円の作という。
    • 長円については、この「薄緑」の作者という他はほとんどわかっていない。同銘数代いたとされる。

居住地  

  1. 豊前:本阿弥長根による
  2. 豊後
  3. 大和:千手院の長円が豊前紀氏の招きで下ったとも、あるいは豊後長円とは別人ともいう
  4. 薩摩

年代  

  • 永延年間
  • 鎌倉初期に「長円 建保元 千秋万歳」と切ったものがあるというが、当時そのような添え銘は切らないとされる。
  • のちに宮津藩主となった本荘松平家に伝来した太刀に、長円銘があるという。佩表に素剣、裏に梵字。将軍綱吉から拝領という。

 

  • 「長円」二字銘
  • 円の字は、略字。

由来  

  • 薄緑の号の由来は平家物語で語られる。

    湛増別当申しけるは、「源氏は我等が母方なり。源氏の代とならん事こそ悦ばしけれ。兵衛佐頼朝も湛増が為には親しきぞかし。その弟範頼・義経、佐殿の代官にて木曾追討し、平家攻めに下らるる由、その聞えあり。源氏重代の剣、本は膝丸、蛛切、今は吼丸とて、為義の手より教真得て権現に進らせたりしを、申し請けて源氏に与へ、平家を討たせん」とて、権現に申し賜ひて都に上り、九郎義経に渡してけり。義経特に悦びて「薄緑」と改名す。その故は、熊野より春の山を分けて出でたり。夏山は緑も深く、春は薄かるらん。されば春の山を分け出でたれば、薄緑と名付けたり。この剣を得てより、日来は平家に随ひたりつる山陰・山陽の輩、南海・西海の兵ども、源氏に付くこそ不思議なれ。

来歴  

  • 平家物語によれば、元は「膝丸」と呼ばれていた太刀で、次々と名前を変えていったとされる。
  • 平治の乱で源義朝が所持。
  • のち源為義が教真(湛快)に贈り、その子で21代熊野別当の湛増が源義経に贈ったという。
     【熊野別当】
     15長快─16長範─17長兼─18湛快─19行範─20範智─21湛増─22行快─23範命
     
        源為義─┬─源義朝──┬─源頼朝
            └─鳥居禅尼 └─源義経
               │
        【新宮別当家】├────┬─範誉【那智執行家】
     長快┬─長範─┬─行範    ├─行快【新宮大門家】
       │    └─範智    ├─範命【鵜殿家・高坊家・滝本家】
       │【石田家】       ├─行遍【宮崎家】
       ├─長兼         ├─行詮
       │            ├─行増
       │            └─女子
       │【田辺別当家】        ├──┬─湛顕【小松家】
       └─湛快─────────┬─湛増  └─湛真
                    └─湛政
    
    21代湛増別当の妻の母が源為義の娘という関係。
    源為義の娘の鳥居禅尼は、熊野速玉大社の社僧や神官などを束ねていた行範(16代熊野別当長範の長男で19代熊野別当)と結ばれ、「たつたはら(立田原)の女房」とよばれた。のち範誉、行快、範命、行遍、行詮、行増らの男子と、数人の女子をもうける。娘のうちの一人が18代熊野別当湛快の次男湛増の妻となっている。
  • 義経はこの刀を「薄緑」と名付け、所持したという。

    熊野より春の山を分けて出でたり。夏山は緑も深く、春は薄かるらん。されば春の山を分け出でたれば、薄緑と名付けたり。