菊一文字

菊一文字(きくいちもんじ)  

  • 後鳥羽院が、備前一文字派の祖である則宗に打たせた一連の刀のことを指し、「菊一文字則宗」などと呼ばれる。

御番鍛冶と菊紋  

  • 伝説によれば、後鳥羽院は鎌倉幕府打倒を目指し諸国の名刀工を招いて鍛えさせ、親しく焼刃をされたという。
  • 特に正月番の備前一文字派の則宗に対しては、皇位の紋である十六弁の菊紋を銘に入れることを許した。そのことから「十六弁の菊紋」に「一」が銘に入っているものを「菊一文字」と呼ぶことになる。
    一般に「菊の御紋」と呼ばれる皇室の紋「十六葉の菊紋」は、後鳥羽上皇に始まる。詳しくは「後鳥羽院」を参照
  • しかし実際には則宗作刀のもので菊紋の入ったものは現存しない、このため、「菊一文字則宗」というのは「菊御作」と混同した後世の誤伝のひとつであると思われる。
    則宗の作刀では、名物二つ銘則宗」のほか、日枝神社所蔵、忌宮神社所蔵、三井記念美術館所蔵、岡山県立博物館所蔵、岡山県立博物館所蔵のものなどが伝わるが、これらは「則宗」の二字銘である。刀に「一」銘を切るのは、則宗や助宗ら「古一文字」より後の一文字派である。例えば鎌倉中期の福岡一文字派重要美術品で、銘「一」、表鎺下に菊を彫る太刀(長二尺四寸八分二厘、反り一寸一分)がある。

菊紋に一銘のある刀  

御物
菊紋に古一文字。
松帆神社蔵
菊紋、銘 一。重要美術品指定。同社では則宗と伝えるが、刀姿から古一文字ではなく鎌倉中期の福岡一文字とされている。
国宝の吉平作
鎺下に菊花御紋章の毛彫。目釘孔の右側に「吉平」二字銘。三井高修氏旧蔵。昭和10年4月30日旧国宝指定、昭和38年7月1日国宝指定。個人蔵

沖田総司の愛刀  

  • 幕末の新選組一番隊組長沖田総司の愛刀として「菊一文字則宗」が登場するのは子母澤寛の「新選組始末記」(1928年)を含む「新選組三部作」である。
  • そしてその後、その影響を色濃く受けた司馬遼太郎の人気作「燃えよ剣」(1964年)、「新撰組血風録」(1964年)で一気に人口に膾炙した。
    一般に司馬遼太郎の創作などとされているが、源流をたどれば子母澤寛である。司馬は、まだ作家ですらなかった20歳頃に子母澤の「新選組始末記」を読んで夢中になり、どうしてもこれは超えられないと子母澤に教えを請いに行ったという。子母澤はのち、後進作家である司馬や池波に自分が集めた資料を送ってもいる。
     なおネットでよく議論される「史実か否か」については、その子母澤自身が「聞き取りをした古老の話の中には疑わしいものもあったが、私は歴史というのではなく現実的な話そのものの面白さをなるべく聞き漏らすまいと心がけた」と語っている。司馬はウソ、子母澤が史実などという簡単な話ではなく、両者とも「作家」であって「歴史研究者」ではないということである。そもそも史実云々を語る人間が司馬の名前を出しながら子母澤の名前を出さない、あるいは出せないこと自体が問題ではないだろうか。※なお司馬が影響を受けた、あるいは参考にしたと思われる著作は子母澤以外にも多数存在する。
     ただし史実以外が混じっているから読む価値すらないなどとする最近の風潮はいかがなものかとは思う。万人が最初から教科書や参考書、歴史論文のみで歴史が学べるかといえば決してそんなことはなく、その第一歩は小説やマンガである。司馬や子母澤は、多くの人々にいきいきと歴史上の人物の生き様を語りかけ、歴史への興味を抱かせてくれた偉大な作家であることは間違いない。
  • しかし実際には上記の通りで、則宗の作刀で「菊紋と一文字」を銘に入れたものは存在しない
  • また則宗は、古くは室町期からすでに良き贈答品とされており、江戸時代には「大名差し」とされ大名間で稀に贈答される他はほとんど流通しておらず、多少金回りは良かったとはいえとても新選組隊士が入手できるような代物ではなかった。それをさらに、踏み込みの実戦で用いるなどということは考えられないことから、小説上の演出であるとされる。沖田が実際に用いたのは「加州清光(非人清光)」あるいは「大和守安定」であるとされている。
    池田屋事件の後、近藤勇が養父宛てに送った手紙では「永倉(新八)の刀は折れ、沖田(総司)の刀は帽子折れ、藤堂(平助)の刃は刃切(はさき)さゝらの如く、枠周平は槍を斬り折られ、下拙刀は虎徹故に候哉、無事に御座候」と書かれている。それほどの戦いに則宗を持ち込むなどありえない。
  • しかし、近藤や土方を超える恐るべき戦闘力を発揮しながらも労咳(結核)により若くして倒れた悲劇の剣士には、一文字の細身で優美な姿がとてもよく似合う。一説によると沖田は、斬首された近藤や土方の動向を知らぬまま寂しい最期を迎えたという。
  • 史実はどうあれ、沖田に「菊一文字」を持たせたのは子母澤寛の優しさであると思いたい。

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