莞爾

莞爾(かんじ)  


青江の作

  • 青江の作ということ以外伝わらない。

由来  

  • 莞爾の由来は次のようなものであるという。
  • この刀で斬られたものは、あまりの斬れ味なので斬られたことに気づかず、斬られてなお莞爾として笑い続け、数十歩も歩いたところでまっぷたつに分かれ倒れたという。「八丁念仏団子刺し」などと似たような逸話により名付けられている。
    莞爾とは、にっこりと笑うさまをいう。

来歴  

  • もともとは柴田勝家の所持。
  • 天正11年(1583年)の賤ヶ岳の合戦において、柴田勝家は賤ヶ岳の大岩山砦への攻撃を始めるが、美濃大返しを敢行した秀吉に敗れ、4月24日に北ノ庄城にてお市の方とともに自害した。享年62。
  • 本刀「莞爾」は、丹羽長秀が柴田勝家から分捕り手に入れ、その後秀吉に献上した。丹羽長秀は清須会議以降秀吉を支持し、この賤ヶ岳の合戦でも秀吉を援護したことから、戦後に若狭に加え越前及び加賀二郡、都合123万石を領する有数の大大名となった。
    柴田から丹羽という来歴では「にっかり青江」も同様に伝わるが、こちらは長秀が入手したまま「羽柴五郎左衛門尉長□」銘を入れ、その後に秀吉に献上となる。
     また柴田から丹羽経由の青江刀という共通点があるため同物の可能性がある。ただしにっかりの逸話がニッカリ笑う化物を切ると地蔵であったというので共通するが、この莞爾は斬られたものが気づかずに歩き去るというパターンのもので異なっている。
  • のち丹羽長秀の嫡子である丹羽長重が元服した際に、秀吉より拝領したという。
    長重は元亀2年(1571年)生まれ。恐らく天正13年(1585年)に秀吉から羽柴の名字を与えられた際にこの父由来の刀も与えられたものと思われる。同年4月に父長秀が死んでいることから考えてもこの年の可能性が高い。
     なお長重は、秀吉薨去後の形見分けでも左の脇差を贈られている。
  • その後の行方は不明。

関連項目