茶臼丸

茶臼丸(ちゃうすまる)  

由来  

  • 茶坊主が茶をひいている所を、この刀で茶臼もろとも一刀両断したためという。

来歴  

  • 坂崎出羽守の所持。由来は出羽守による。
  • 坂崎出羽守は、家康の孫である千姫を奪おうとしていることが露見し、元和2年(1616年)に自害に追い込まれる。
    坂崎出羽守直盛は、宇喜多忠家の長男で、宇喜多直家の甥にあたる。従弟の宇喜多秀家に仕えたが折り合いが悪く出奔死家康お預けとなる。関が原の戦いの功により石見浜田2万石、のち津和野3万石を与えられる。この時に宇喜多の名を嫌った家康から坂崎と改めるよう命じられる。大坂落城の際、千姫を助け出す。家康から千姫の身の振り方を依頼され、公家との間を周旋しているところで本多忠刻への輿入れが決まってしまい面目を潰されたために千姫強奪を計画したという。

    1616年10月10日夜遅く、江戸市中に騒動起これり、こは出羽殿と呼ばれし武士が、皇帝(将軍秀忠)の女(千姫)が、明日新夫に嫁せんとするを、途に奪うべしと広言せしに依りてなり。(略)是に於いて皇帝は兵士一万人余人を以て其邸を囲ましめ、家臣にして穏かに主君を引き渡さば凡十九歳なる長子に領土相続を許さんと告げしに、父は之を聞くや、自ら手を下して其子を殺せり。されど家臣などは後に主君を殺して首級を邸外の人に渡し、其条件として、彼等の生命を助け、領土を他の子に遺はさん事を求めしが、風評によれば、皇帝は之を諾せし由なり。
    (イギリス商館長リチャード・コックス日記)

  • 本刀は、由来を知らないまま豊前竜王城主であった松平丹後守重直が入手する。
    松平重直は信濃松本藩主小笠原秀政の四男。母の登久姫は岡崎信康(家康嫡男)の長女。祖母は信長長女の五徳姫。重直の兄弟には、豊前小倉初代藩主となった小笠原忠真、蜂須賀至鎮正室の万姫(敬台院)や細川忠利正室となった千代姫(保寿院)らがいる。
    秀忠の命により能見松平家松平重忠の娘婿となる。出羽上山藩第2代藩主、摂津三田藩主、豊後竜王藩主、豊後高田藩初代藩主。寛永3年(1626年)に家督を継ぎ、寛永19年(1643年)没。
  • 重直の孫、志摩守重栄の代に、出羽守の孫に当たる護持院(将軍家綱の時に湯島の知足院が移された)の住職が知らせたためにはじめて由来が判明したという。
    志摩守重栄は豊後杵築藩の第2代藩主。元禄5年(1692年)に家督を継ぎ、奏者番、寺社奉行を務める。宝永5年(1708年)に隠居。