翠丸

翠丸(みどりまる)  

備前兼光

  • 備前長船兼光作の刀。

来歴  

  • もとは、越後三島郡長峰山の城主新田氏の一族に伝来したもの。
  • 同郡富岡村の遠藤孫兵衛の祖先の手に渡る。
  • 宝暦12年(1762年)には、越後長岡藩主であった牧野家が金百両で召し上げ、褒美として三百疋を添えた。
    宝暦12年であれば8代藩主牧野忠寛の治世となる。忠寛は宝暦5年(1755年)に家督を継ぎ、明和元年(1764年)から病気による江戸城登城不参が続いたのち同3年(1766年)6月30日に26歳で死去。
  • 以後同家第一の宝刀となる。
  • 幕末明治維新の際、越後長岡藩は家老河井継之助のもと中立を維持するが、新政府軍からは会津側とみなされて小千谷談判は決裂。越後長岡藩は藩論を戦守と定め、奥羽列藩同盟に加わる。
  • これにより北越戦争が開始され、山縣有朋や黒田清隆を中心とする新政府軍の攻撃を受け長岡城は焼け落ちる。本刀もその時に焼失してしまった。