美濃屋正宗

美濃屋正宗(みのやまさむね)  


無銘正宗
刃長一尺六分

  • 平造り

由来  

  • 「美濃屋」は、京都小川町の商人の美濃屋とされる。
    美濃屋小四郎の親類か

来歴  

  • もとは伊予西条松平頼淳の長女、鑑姫所持。
  • 寛政年間に丹波の園部城主小出英筠に輿入れするが、なぜか紀伊家に伝来した。
  • 紀州徳川家伝来。
  • 昭和8年同家の売立に出品され、188円で落札された。


美濃屋小四郎(みのや こしろう)  

  • 美濃屋小四郎は常哲の子
  • 亀之介とも。

    此龜介は上京小川の住人に。 簑屋の小四郎入道して常哲と云ものゝ子なり。先祖より何某の筋にて歴々のものゝ子なりしが。 學文のぞむによりて鹿苑院殿へあづけしかば。(室町殿日記)

  • 足利義輝の弟にあたる鹿苑寺周暠の近習として仕えた。
  • 永禄8年5月19日、将軍義輝を殺害した松永久作は、平田和泉守を差し向け鹿苑寺周暠も殺害しようとする。この時小四郎は16歳だったが、怒って和泉守を斬り、自らも自害して果てた。都で評判になったという。

    同じく三番日の御舎弟鹿苑院殿へも平田和泉を討手にさし向け、同じ刻に御生害。御伴衆こと(ことごと)逃散候(にげちりそうろう)。其の中に、日頃御目を懸けられ侯美濃屋小四郎、未だ若年十五、六にして、討手の大将平田和泉を切り殺し、御相伴仕り、高名比類なし。誠に御当家破滅、天下万民の愁歎これに過ぐべからず、云々
    (信長公記)

    小川の住人美濃屋の小四郎生年十六、容貌(みめかたち)世に勝れしかば、御寵愛浅からで、常々左右に侍りしが、其時も間親く御供申しければ、得たり賢しと、三條吉則二尺五寸抜ば玉散計(たまちりばかり)なるを(もって)、和泉が細頸露もためず打落し、手もとに廻る者共、五六人迄切ふせ、是までと云儘に、腹十文字に掻切て、名を後代に止たり。誠若年として、立所に主の恩を報ぜしとて、世皆感之(よのみなこれをかんず)其比(そのころ)の狂歌に、
     くるぶしもぬれぬ小川のみの亀に、和泉は命取れぬる哉
    (信長記)

    たがひにねん頃あさからざりしが。 後世まで御供申ける手柄のほどこそ在がたけれ。 洛中の貴賤上下其頃ほめぬ人はなかりしが。ゑびす川の辻に翌朝かくよみて立にける。
     たぎりたるいづみといへど簑龜が只一口に呑干しぞする
    (室町殿日記)

    美濃屋の小四郎(亀之介)は京都小川に住したという