細川護立

細川護立(ほそかわもりたつ)  

日本の宮内官僚、政治家
従二位、勲二等
侯爵
号 晴川

  • 肥後熊本藩主を務めた細川家の第16代当主。
  • 財団法人永青文庫設立者。

生涯  

  • 明治16年(1883年)、細川家14代当主(肥後熊本藩12代藩主)細川護久の四男として、東京府東京市小石川区高田老松町に生まれる。
  • 母宏子(旧姓鍋島)は佐賀藩主鍋島直正の四女。
  • 学習院在学中の明治31年(1898年)、護立は実兄で明治29年(1896年)に分家していた細川護晃の養子として細川男爵家の家督を相続する。
  • 明治39年(1906年)に学習院卒業、同年東京帝国大学法学部入学する。宮内省の内部部局である宗秩寮にて、審議官などを務めた。
  • 東京帝国大学を中退後、大正2年(1914年)10月7日、実兄細川護成の死去にともない、細川侯爵家の家督を相続し細川家16代当主となり、細川男爵家を廃家とした。貴族院議員。
    護立は4人兄弟の末っ子で、長兄の護成は明治26年(1893年)9月父護久の死去により家督を相続し貴族院議員に就任する。大正3年(1914年)死去。次兄の長岡護全は叔父長岡護美の養子となるが1904年日露戦争で戦死。三兄の細川護晃は男爵となり、細川侯爵家から分家して細川男爵家を立てるが17歳で早世した。護立はこの三兄の養子となるが、長兄の死後に肥後熊本細川宗家を継いだことになる。
  • 昭和4年(1929年)に国宝保存法が制定されると、国宝保存会初代会長に就任する。
  • 昭和11年(1936年)江戸時代から伝わる目白台の細川家下屋敷、7000坪に及ぶ地所に自邸を再建した。現在は財団法人和敬塾本館として使用されている。
  • 昭和15年(1940年)には美術振興調査会が設置され初代会長に就任、昭和21年(1946年)には日本美術協会顧問、昭和22年(1947年)国立博物館顧問などを歴任する。
  • 昭和25年(1950年)文部省の外局として文化財保護委員会(現、文化庁)が発足すると委員に就任し、同年に細川家伝来の美術品や古文書を保存する目的で財団法人永青文庫を設立している。翌昭和26年(1951年)には幣原喜重郎の後任として、東洋文庫の理事長も務めている。
    現在文化庁で行っている業務は文化財保護委員会で遂行されてきた。護立は昭和43年(1968年)に文化局と統合して文化庁が発足し業務移管されるまでその重責を果たし、日本文化の保護と振興に大きく貢献した。
  • 昭和45年(1970年)没。


逸話  

刀剣  

  • 明治33年(1900年)、17歳の時に日本刀に接する機会があり、初めて入手したのが「光忠生駒光忠)」である。
  • その他、銘豊後国行平作(古今伝授の太刀)、無銘正宗名物庖丁正宗)、銘則重日本一則重)などは護立の蒐集した名刀で、いずれも国宝指定を受けている。

    護立が刀剣に興味を持ったのは十代の時で、家の御刀掛をしていた肥後金工・西垣家の末裔、西垣四郎作から鑑識を学び、小遣いを前借して最初に購入した刀が、のちに国宝に指定された「生駒光忠」でした。その後に蒐集した刀剣も3口が現在国宝に指定されています。
    永青文庫国宝の刀 ― 伝えられた武士の心」パンフレットより)

  • こうして蒐集された名品は、細川家伝来の品々とともに、護立コレクションとして永青文庫で展示・公開されている。

文化面  

  • 若い頃から学術・芸術仲間との交流を盛んに行い、志賀直哉や武者小路実篤、柳宗悦などとの(いわゆる白樺派)文芸運動に始まり、無名だった横山大観や菱田春草などを支援して近代日本画の草創につなげている。
  • 白隠禅師の書画研究と蒐集、横山大観ら日本近代画、そして優れた審美眼によって蒐集された中国考古品や石仏等は、「細川護立コレクション」として広く知られ、日本の超一流の美術コレクションといわれている。
  • のちに文化勲章を受章した堅山南風や人間国宝の高野松山など、芸術、学術分野の支援をはじめ、有斐学舎に大きな財政支援をしながら向学に燃える熊本の若者を終生支援し続けた。

熊本への支援活動  

  • 護立は、また地元熊本への支援も惜しみなく行っている。大正3年には児童奨学金に1万円を支援(当時、県庁職員の初任給が10円程度)、また熊本医学専門学校基金や熊本薬学専門学校、さらに熊本師範学校などにも支援を行っている。
  • 神社仏閣でも、藤崎八幡宮、阿蘇神社、加藤神社、出水神社、代継宮など県下の多くの神社仏閣の修復支援を行った。

系譜  

  • 夫人は池田詮政(岡山藩池田家第13代当主)の長女博子で一男三女を設けた。
  • 男子が近衞文麿の下で内閣総理大臣秘書官を務め、父同様に美術愛好家として知られた細川護貞。
  • 護貞は公爵近衛文麿(元内閣総理大臣)の娘近衞温子を最初の夫人とし、子に第79代内閣総理大臣の細川護熙(現、永青文庫理事長)と、近衛家を相続した近衛忠煇がいる。温子は結核により早世。のち旧熊本藩筆頭家老の松井薫子を後妻に迎え、一人娘の細川明子は表千家千宗左に嫁いだ。

参考  

関連項目