狐ヶ崎

狐ヶ崎丸(きつねがさき)  

太刀
銘 為次
号 狐ヶ崎(附黒漆太刀拵)
二尺五寸九分
国宝
吉川史料館収蔵(山口県岩国市)

  • 青江為次作。
    • 青江為次は平安時代末期から鎌倉時代初期の備中国の刀工
  • 狐ヶ崎為次(きつねがさきためつぐ)

由来  

  • 正治2年(1200年)、駿河国清見関にて発生した「梶原景時の変」(御家人による梶原景時に対する襲撃事件)の際に、吉川小次郎経光(吉川友兼、毛利家臣の祖)がこの太刀を振るって梶原景茂を討ち取る。
  • 「狐ヶ崎」の号は、梶原景時始め梶原一族を討伐した場所の名に由来する(駿河国狐ケ崎、現静岡県静岡市清水区上原地域)。

    右小次郎公友兼正治二年正月廿日駿州狐ケ崎に於て梶原一族を誅殺の時に手つから三郎兵衛尉景茂を斬せられし御太刀なり御粧飾当時の儘と申伝へり、実に七百年の御物にて建武観応の比嫡無派立して武功を相競はれし時も覚に傳正当家に御約束有て吉川氏にては恐なから神器にも比すべき第一の宝物なり

来歴  

  • 吉川友兼はこの刀で梶原景茂を討ち取るが、自身も深傷を負ってしまい、翌日死亡している。
  • 子の吉川朝経は、亡父の功と本人の功により、梶原氏の所領であった播磨国福井荘の地頭に任ぜられた。
  • 狐ヶ崎為次も子に伝えられている。朝経の孫(友兼曾孫)である吉川経高の代に、安芸国大朝荘に移住し安芸吉川氏の祖となっている。
  • その後、子孫の安芸国人吉川氏に伝わり、さらにその家系を簒奪した毛利分家旧岩国藩主吉川氏のもとで伝来の家宝として拵えともども管理された。

    當家青氈之物渡進目録之事、
    一、重書一笥 御代々御綸旨、将軍家御内書在之、
    一、重代太刀一振為次金具惣赤紋篠
    一、従 太閤御所様御遺物被下置吉家太刀一振、刀一腰正宗黒龍目貫鈎匙 後藤祐乗
    (略)
       以上
      元和貳年六月十六日
         従四位下羽柴吉川侍従豊臣廣家朝臣(花押)
    (吉川家文書 一三六〇 吉川廣家什寶譲與目録)

    吉家の太刀は、太閤遺物形見分で拝領したもの。寛文5年(1665年)にも吉川広正より家督を継いだ広嘉へ宛てた同様の書状が残る。

  • 昭和8年に刀身、拵ともに旧国宝指定。
  • 1951年6月9日に国宝指定。
  • 現在は財団法人吉川報效会の所有で岩国市の吉川史料館で保存されている。
  • 拵は黒漆革包太刀拵で、当時の姿そのままである。