牛目貫

牛目貫(うしめぬき)  

短刀
鎌倉公方足利家重代

来歴  

  • 室町時代の鎌倉公方、足利家重代の短刀。
  • 鎌倉公方が遠くに発向する際、大刀は「大食(おおばみ)」、そして小刀はこの「牛目貫」を差したという。
  • 刀号の由来は不明だが、牛をかたどった目貫に由来すると思われる。

鎌倉公方  

  • 鎌倉公方は、室町幕府の関東10ヶ国の出先機関として設置されたもので、正平4年(1349年)に足利尊氏と弟の足利直義が対立(「観応の擾乱」に発展)した際、直義に代わって政務を執るために上京した足利義詮(尊氏嫡男)の後を継いで鎌倉に下向した足利基氏(尊氏四男)を初代とする。
  • 本来、鎌倉公方は「関東管領」という役職で呼ばれ、その関東管領家の執事を上杉家が務めたのだが、やがて執事家が関東管領となり、本来の「関東管領家」が「鎌倉(関東)公方」となった。初代関東管領で山内上杉家の始祖となった上杉憲顕は、尊氏・直義の兄弟とは従兄弟の関係である。足利尊氏・直義兄弟の母清子は父方の叔母にあたる。
  • 永享10年(1438年)には、鎌倉公方足利持氏と関東管領上杉憲実の対立が顕著となり、6代将軍義教が持氏討伐を命じ、持氏は自害させられ鎌倉公方は断絶した(永享の乱)。後に持氏の子成氏が鎌倉公方就任を許され下総国古河を本拠として「古河公方」を名乗った。この古河公方と鎌倉公方をあわせ「関東公方」とも称する。