源頼光

源頼光(みなもとのよりみつ)  

摂津源氏の祖
正四位下
備前守、美濃守、但馬守、伊予守、摂津守、大内守護

  • 頼光は有職読みで"らいこう"とも呼ばれる

生涯  

  • 父は鎮守府将軍源満仲、母は嵯峨源氏の近江守源俊女。
  • 父である源満仲(多田満仲)が武士団を形成した摂津国多田荘を相続し、その子孫は「摂津源氏」と呼ばれる。
  • 異母弟に大和源氏の源頼親、後に武家源氏の主流となる河内源氏の源頼信(頼朝・義経らの祖)がいる。
  • 正暦元年(990年)、関白兼家の葬儀に際して藤原道長の振る舞いに感心して側近として従うようになったという。
  • 正暦3年(992年)には備前守。長保3年(1001年)には美濃守を兼任し、その後、但馬、伊予、摂津(970年)の受領を歴任。左馬権頭となって正四位下になり、後一条天皇の即位に際して昇殿を許される。
  • 受領として蓄えた財により一条邸を持ち、たびたび道長に多大な進物をしてこれに尽くした。道長の権勢の発展につれてその側近である頼光も武門の名将「朝家の守護」と呼ばれるようになり、同じく摂関家に仕え武勇に優れた弟の頼信と共に、後の清和源氏の興隆の礎を築く。

活躍譚  

  • 寛仁元年(1018年)3月に大江山夷賊追討の勅命を賜り頼光四天王らとともに6人で摂津国大江山へ向かい夷賊(酒呑童子)討伐を行う。成相寺に頼光が自らしたためた追討祈願文書がある。
  • 酒呑童子の首を「童子切安綱」で切り落としたほか、源満仲より受け継いだ「鬼切安綱」で一条戻橋で鬼の腕を、「膝切」(蜘蛛切)で土蜘蛛を切ったという。


参考系図  

     【嵯峨源氏】
嵯峨天皇─┬大納言源定──右大弁源唱──源俊──源満仲室
     └仁明天皇───文徳天皇┐       ┃
                 │       ┠─源頼光…(摂津源氏の祖)
┌────────────────┘       ┠─源頼平…(柏原氏・檜坂氏・匂当氏など)
│    【清和源氏】              ┃
└─清和天皇───貞純親王───経基王─────源満仲(多田満仲)
             (六孫王源経基)    ┃
                         ┠─源頼親…(大和源氏の祖)
                         ┠─源頼信…(河内源氏の祖)
   【南家巨勢麻呂流】             ┃
    参議藤原菅根──藤原元方──藤原致忠─┬─娘
                       ├─藤原保昌
                       └─藤原保輔

関連項目