流水剣

流水剣(りゅうすいけん)  

鎧通し
刃長一尺四寸
沢村大学助吉重所用

  • 豊後高田派の作と見られる。
  • 差表平造りで身幅の半分以上もある太樋を中心先までかき透す。
  • 裏は切羽造りで腰樋。重ね相当厚く、素剣の上に腰樋をかく。

来歴  

  • 沢村大学助吉重は、熊本藩主細川家で家老として1万1千石を食んだ武士。
  • 永禄3年(1560年)の生まれで、はじめ若狭高浜の領主逸見昌経に仕えた。その後細川忠興、細川忠利に仕え、熊本藩では家老三席に次ぐ重臣となった。
    逸見氏は甲斐源氏庶流で、若狭守護の武田氏に仕えた。三好氏が勢力を伸ばすとその援軍を得て永禄8年(1565年)には高浜城を築く。織田信長が機内に勢力を伸ばすと従属し、若狭衆筆頭として仕えた。天正9年の馬揃えにも参加しているがその1か月後に死去しており、遺領は溝口秀勝と武田元明に分配された。沢村大学助はこの時に細川氏に仕えたものと思われる。
  • 沢村大学助は小男であったため、戦場で組み打ちになると組み伏せられることが多かった。
  • しかし、組み敷かれながらも下から腰の鎧通しを抜いて相手を突き殺すのが得意であったという。

大学拵え  

  • 拵えは小鍔のついた右手差しになっており、柄頭に孔があけてある。
  • これは、組み打ちで下から敵を刺した際に、吹き出した敵の血が差表の太樋を流下して孔から抜け落ちるように工夫したもので、沢村の名を取って大学拵えと呼ばれる。