津田越前守助広(刀工)

津田越前守助広(つだえちぜんのかみすけひろ)  

江戸時代延宝頃の摂津国の刀工
新刀最上作にして大業物

概要  

  • 初代助広(ソボロ助広)の養子
  • 多作で、一説に生涯に1700点あまりの作品を残したとされ、大坂新刀の代表工であり新刀屈指の巨匠である。
    • 「越前守助広」銘が500余、角津田銘が500余、丸津田銘が650余と伝わる。
    • 刀のほか、槍や薙刀、鉞もある。
  • 江戸の虎徹とともに新刀の横綱ともいわれ、また同じく大坂の井上真改とともに最高の評価がなされている。しかし、その人気とともに在銘品(「助廣」と銘のある刀剣)の多くが偽物であり、特に助広、虎徹、真改銘の偽物は数万点を超えるともいわれる。
  • 濤瀾(とうらん)乱れという刃紋を創始した。腰開きの五の目乱れだが大海の波が打ち寄せては返すかのような華やかな刃紋である。

生涯  

  • 寛永14年(1637年)摂津国打出村(兵庫県芦屋市)に生まれる。
  • 通称甚之丞
  • 初代助広(ソボロ助広)の養子となって作刀を学び、22歳で独立する。
  • 明暦はじめ頃、師匠である初代助広(ソボロ助広)が亡くなっている。
  • 明暦3年(1657年)には越前守受領。
  • のち寛文7年(1667年)4月10日付で大坂城代であった青山因幡守宗俊に十人扶持で召抱えられる。
    青山宗俊は武蔵岩槻藩主青山忠俊の長男として生まれる。父忠俊はしばしば家光に諫言を繰り返したため、元和9年(1623年)に老中を免職、寛永2年(1625年)に除封され蟄居となってしまう。
    宗俊は寛永11年(1634年)、家光から許されて再出仕、書院番頭、大番頭を経て信濃小諸藩主に返り咲く。寛文2年(1662年)大坂城代に任じられ5万石の大名になり、寛文9年(1669年)12月26日、従四位下。延宝6年(1678年)に大坂城代を辞職し、8月18日に遠江浜松に移封となる。
  • 青山因幡守は延宝6年(1678年)6月に大坂城代を免ぜられ、信州小諸に帰っている。この時に助広にお暇が出たためか、禁裏御用鍛冶となったともいう。
  • 天和2年3月14日46歳で没
  • 法名「了春休賢」

 

  • 茎の銘が時期により異なる。
    1. 22歳から30歳:「源・藤原」銘。初期に「越前大掾」。「越前守源助広」
    2. 31歳から38歳:青山宗俊に仕えた寛文7年2月ごろから「津田」の田の字を楷書で切る。角津田銘、角田。「津田越前守助広」。このころは裏銘は草書で切ったものが出始める。大業物
    3. 38歳から:延宝2年(1674年)8月、青山宗俊の命により藩士田塩保良が近衛流で書いた銘の下書きを与えられたため、これより晩年の46歳までは裏銘に加え表銘も草書体で丸く田の字を切った丸津田銘を用いた。丸田。もっとも高価。業物
  • 彫り
    • 自身彫りはない。
    • 青山因幡守の求めに応じた「村雨太刀」には両面に倶利伽羅彫りが入るが、これは「遊鵬軒」の添銘が入る弟子助直作と同人(長坂遊鵬軒)の彫りだとされる。

作刀  

重要文化財  

銘「津田越前守助広/延寶七年二月日」1952年7月19日重要文化財指定。刀剣博物館所蔵

その他  

銘「津田越前守助広/延宝三年八月日」昭和32年2月19日神奈川県指定の有形文化財。個人蔵
弥吉助広
銘「津田越前守助広 延宝五年八月日」刃長二尺三寸四分。弥吉は旧蔵者姓。重要美術品。塩谷進氏蔵。丸津田。
天帝
「寛文九年十二月日 天帝」と切ったものがある。
銘「津田越前守助広/延宝八年八月日因源弘光鏨造之」昭和16年9月24日重要美術品指定、木村又一郎所持。
銘「津田越前守助広/延宝七年二月日」昭和14年9月6日重要美術品指定、長野友博所持。
脇指
銘「津田越前守助広/寛文十三年八月日」。表は角津田銘。裏は行書で切られている。彦根城博物館所蔵
脇指
銘「津田越前守助広/延宝八年二月」刃長一尺五寸二分半。津軽義孝伯爵所持

系譜  

  • 弟に津田越前守照広、妹婿に津田近江守助直がおり、それぞれ名工である。
  • 門人には常陸守宗重や大和守広近などがいる。

津田近江守助直  

  • 寛永16年、近江野洲郡高木村の生まれ。通称孫太夫。
  • 津田越前守助広の弟子となる。銘「近江守高木住助直」「近江守助直」「近江国住助直」。
  • 業を成した後は高木に住し、師匠の越前守助広亡き後大坂に移ったとされる。寛文十年八月の年紀が入る「近江守助直」銘があり、受領は寛文九年~十年ごろとされる。
  • 晩年には「津田近江守助直」と津田を加えて切る。
  • 良業物
  • 津田越前守助広の妹婿、あるいは娘婿という。
  • 異説
    • 赤穂浪士物「忠僕直助」に、刀工を志す前の助直が赤穂の武士小野寺十内の下男「直助」として登場するが、架空の話とされる。

奥和泉守(おくいずみのかみ)忠重  

  • 薩摩の奥忠清の三男。
  • 通称主左衛門、小左衛門。はじめ秀興、忠興。
  • 正徳3年藩命により「忠」の使用を禁止され再び秀興を名乗る。藩命により大坂の津田越前守助広に師事。元禄2年10月14日に秀興の名で「和泉掾」を受領。ただし刀銘には和泉守と切る。
  • 良業物
銘「薩州鍛冶奥和泉守忠重」長二尺三寸。鉄製柄で表に「鎮守」、裏に「英」の彫文字。幕末の四大人斬りの一人田中新兵衛の愛刀。