相州五郎正宗(刀工)

正宗(まさむね)  

正応~嘉暦年間の相模の刀工
岡崎五郎入道正宗、岡崎正宗、岡崎五郎入道。
日本刀剣史上もっとも著名な刀工の一人
「相州伝」と称される作風を完成し、多くの弟子を育成した。

概要  

  • 相州伝を完成した日本刀中興の祖。
  • これほど高名な刀工だが、生没年は不明。「長谷川忠右衛門刀工系図」や「古刀銘尽大全」では文永元年(1264年)生まれ、康永2年(1343年)81歳で没とするが、これらは江戸期の書物であり信ぴょう性は薄い。
  • 諸国を漫遊したという伝説が古来あり、すでに室町期の「往昔抄」に尾州赤池での銘が他のものと異なると書かれる。著者斎藤利匡は隣国である美濃守護代の一族で、この赤池駐槌説は信ぴょう性が高いとされる。

系譜  

  • 藤三郎行光の子、または弟、弟弟子。
    行光を正宗の親なりとする「往昔抄」による。
  • 多くの弟子を取り名工に育てたとされ、「正宗十哲」が有名。
  • 切れ味が鋭く、蝦蟇の油売りの口上にも出てくる。

    さあさあお立ち会い。御用とおいそぎの無い方は、ゆっくりと聞いといで。(略)手前ここに取り出だしたるは我が家の家宝、正宗が暇にあかして鍛えたる天下の名刀、実によく切れる。(略)一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十六枚、十六枚が三十と二枚、三十二枚が六十四枚、六十四枚がエイ!一百と二十八枚、春は三月落花の舞、比良の暮雪は雪降りの景、斯程に切れる業物でも差し裏差し表、ガマの油を塗る時は切れ味止まってなまくら同然、押してもひいても、たたいても切れない。しからばガマの油を拭きとる時にはどうか、たちまち元の名刀、鉄の一寸板でも真っ二つ、ちょっとさわればこれくらいは切れる。

    地方により様々なパターンが存在するという。

 

  • 銘を切らない為、偽物が大量に出回っている。国宝だけでも九点存在するがそのほとんどは無銘となっている。
不動正宗
銘「正宗」長八寸二分、平造り三ッ棟。表腰樋のなかに不動明王(彫りは正宗ではなく本阿弥光二依頼を請けた野間左衛門次郎宗安による後彫り)。重要文化財。尾張徳川家伝来。徳川美術館所蔵
京極正宗
銘「正宗」長七寸五分。内反り平造り。宗の字は崩れ気味。京極家伝来、旧皇室御物三の丸尚蔵館所蔵
大黒正宗
銘「正宗作」長九寸四分。内反り、平造り三ッ棟。直刃。表梵字、素剣。裏に食い違い二筋樋。最上家伝来。
本荘正宗
銘「正宗」刃長七寸九分、筍反り。享保名物帳には載らない。本荘家伝来。本間順治旧蔵。鞘書き「相州正宗 本荘家旧蔵 昭和辛丑秋 薫山(花押)」。昭和辛丑とは昭和36年(1961年)のこと。※「本庄正宗(2尺1寸5分)」とは別物。

年紀入り銘  

江戸長銘正宗
銘「相模国鎌倉住人正宗 正和三年十一月日」(1314年)
大坂長銘正宗
銘「相州住正宗 嘉暦三年八月」(1328年)

代表的な作刀  

本庄正宗
刀 2尺1寸5分。戦後GHQにより国外持ち出し。行方不明
小松正宗
小松中納言前田利常、加賀前田家。佐野美術館所蔵
和歌山正宗
鷺森甚右衛門、浅野長晟、将軍家、前田家、浅野光晟。
岡本正宗
岡本道意、前田利常、将軍家、黒田忠之。
朱判正宗
前田利常、将軍家、紀州徳川家。
前田正宗
前田利長、大久保忠隣、井伊直孝、将軍家、紀州徳川家。
夫馬正宗
在銘であるにも関わらず元禄年中に鑑定が行われ、正宗であると極められた。明治29年、宮内省御剣係において「偽物ではないか」という話が出てきて激しい論争となり、そこからそもそも正宗自体の存在を疑う「正宗抹殺論」が巻き起こった。
伏見正宗
徳川家康、蜂須賀至鎮、将軍家、前田吉徳。重要文化財
金森正宗
短刀 享保名物。8寸3分。個人蔵
九鬼正宗
小早川隆景、九鬼家、将軍家、紀州徳川家、伊予西条松平家。林原美術館所蔵
日向正宗
「堅田正宗」「大垣正宗」とも。秀吉、石田三成、福原長堯、水野勝成、紀州徳川頼宣。三井記念美術館所蔵
倶利伽羅正宗
短刀。豊臣秀頼が自害の時に使ったという。
豊後正宗
多賀豊後守高忠、秀吉、家康、大久保家。三井記念美術館所蔵
道意正宗
岡本道意、水戸家、将軍家。
堀尾正宗
福島正則、堀尾吉晴、将軍家、水戸頼房、将軍家、島津家。
宗瑞正宗
小田井家、秀吉、毛利輝元、将軍家、徳川公爵家より明治天皇に献上。三の丸尚蔵館所蔵
一庵正宗
横浜一庵(桑山一庵)、秀吉、京極高知、将軍家、井伊直孝、将軍家、尾張家。徳川美術館所蔵
小池正宗
本多忠政、将軍家、仙洞御所。現皇室御物
早川正宗
早川伝右衛門、将軍家、紀州徳川家、仙洞御所、広幡基豊
不動正宗
短刀 銘「正宗」8寸2分5厘。重要文化財徳川美術館所蔵。豊臣秀次、家康、前田利家、家康、尾張家へと伝わった名刀。
毛利正宗
享保名物。京極家から池田家、将軍家。のち沼田土岐家。
小玉正宗
尾張徳川家、美濃高須藩松平家
庖丁正宗
延岡藩主内藤家伝来(庖丁スカシ正宗)、武州松平家伝来、尾州徳川家伝来の3本。
芦屋正宗
徳川家康から島津忠恒。島津家伝来
会津正宗
蒲生氏郷、将軍家、尾張家、将軍家、有栖川宮家、御物
若狭正宗
秀吉、若狭少将木下勝俊、将軍家、池田輝政、将軍家、16代徳川家達から明治天皇に献上。旧皇室御物
篭手切正宗
長二尺二寸六分半。越前朝倉家、信長、大津伝十郎、佐野信吉、前田利常明治天皇に献上。東京国立博物館所蔵
榊原正宗
榊原康政、福島正則、島津家久、都城島津氏。
太郎作正宗
水野太郎作清久(正重)、将軍家、前田家。前田育徳会所蔵
島津正宗
島津家、将軍家、紀伊頼宣、将軍家、前田綱紀、将軍家、和宮様降嫁の際に皇室に献上。京都国立博物館所蔵
後藤正宗
後藤庄三郎、将軍家、前田利常
観世正宗
観世左近、家康、本多忠刻、将軍家、松平光長、将軍家、有栖川宮熾仁親王に献上、高松宮。東京国立博物館所蔵
敦賀正宗
大谷吉継結城秀康、松平光長、島津綱貴。
中務正宗
本多忠勝所持にちなむ。「桑名正宗」
池田正宗
伊達政宗、有馬晴信、池田長吉、将軍家、前田利常、将軍家、尾張徳川家。徳川美術館所蔵
石田正宗
「石田切込正宗」毛利若狭守、石田三成、結城秀康東京国立博物館
福島正宗
浅野但馬守所持
大垣正宗
戸田家、将軍家、上杉定勝
武蔵正宗
宮本武蔵、将軍家、紀州頼宣、将軍家、岩倉具視
京極正宗
短刀 銘「正宗」7寸6分。三の丸尚蔵館所蔵
城和泉正宗
じょういずみまさむね。津軽正宗とも。きづきいずみまさむねともいう。
大黒正宗
短刀 銘「正宗作」9寸4分5厘。個人蔵
小松正宗
前田利常、前田家伝来。佐野美術館所蔵
八幡正宗
「南無八幡」信長、家康、前田、将軍家。
七つ星正宗
脇差、銘「正宗」。成瀬家から尾張徳川家。「火焔正宗」とも。
氏家正宗
織田信長所用。
天井刳り正宗
てんじょうぐりまさむね。三奈木黒田家所蔵。
薄霞正宗
水戸藩から天皇家に献上。
上り竜下り竜正宗
享保名物。上り竜正宗
多賀正宗
無銘伝正宗。刃長八寸五分、無反り。「慶安元年子三月本阿弥光温代金子百枚」の折紙が附く。多賀豊後守高忠所持にちなみ、多賀家伝来。重要美術品。大藪良辰氏蔵旧蔵。
疱瘡正宗
無銘伝正宗。刃長二尺二寸五分弱、反り八分五厘。徳川家伝来。鞘書き「天保十一子年十一月六日御疱瘡御快癒御祝儀之時従公方様右大将様江進代三千貫二十六番」
楠竜正宗
なんりゅうまさむね。楠正成差料との伝説のある短刀。集古十種、刀剣図考所載。本阿弥光常七千貫の折紙。刃長九寸四分。反り一分。平造り、真の棟、差表に梵字と素剣、裏に梵字と護摩箸。鋩子は火災、稲妻も交じる。中心うぶ、目釘孔3個。無銘。
棒樋正宗
ぼうびまさむね。八寸三分、無銘相州正宗。備前岡山池田家所蔵。
青龍月影正宗
せいりゅうつきかげまさむね。宝暦12年(1762年)極月3日付、代金五百枚の無銘極め相州正宗の刀。刃長二尺二寸六分。表裏に樋。奥州仙台藩伊達家の江戸における御用達、柏屋次郎兵衛が伊達家に献上したもの。
無想正宗
眠狂四郎の佩刀として登場する。
姥捨山正宗
うばすてやままさむね。講談に登場する架空の刀。本阿弥光悦が月の名所として知られた姥捨山に行ったときに、赤鰯の鈍刀に戯れに「正宗」という鞘書をしてやったという。それが評判となりその赤鰯は「姥捨山正宗」と呼ばれて大いに珍重されたという。
背割正宗
せわりまさむね。「本朝孝子伝」に登場する架空の刀。相州行光が京都で修行中にもうけた小である正宗を、行光の正妻おあきが激しく継子いじめした。おあきの父森川右馬之允が激怒して波平行安の刀で斬りつけた間一髪、五郎正宗が継母を庇って飛び込んだ。刀は正宗の背を割った。おあきも改心し、正宗の平癒を水垢離と祈ったかいあって後遺症も残らなかった。その話を聞いて伊豆下田の伊東家から祝い差の脇差を依頼してきた。行光の助力で立派に打ち上げたため、背割正宗と名付け伊東家の重代にしたという。
沢井正宗
「伊賀越道中双六」に登場する架空の刀。和田行家は、沢井又左衛門から「沢井正宗」を借用していたが、又左衛門の子である股五郎から返すよう求められるが返さない。これを取り返すために様々な企みを実行しながら上がりのいがに進んでいくという展開になっている。
三光正宗
さんこうまさむね。「文月恨鮫鞘(ふみづきうらみのさめざや)」に登場する架空の刀。


時代による正宗評価の変遷  

南北朝  

  • 正和二年の注進物には、60刀工が上げられており、小鍛治宗近を筆頭とし備前是助、筑紫清真まで載っているが、この中に正宗を始めとして、貞宗、郷(江)の名前はない。この当時、正宗は存命中で53歳ごろとされる。
    ただし、正宗と同時代の青江恒次綾小路定利、国重(正宗師匠)などは載っている。これが正宗不在説の根拠として挙げられたこともある。

室町時代  

  • 宇都宮三河入道の60選にも相州物は含まれておらず、京物、備前、備中のみとされる。さらに「新作物」とされる61名にも、正宗を始めとする相州伝は名前が出ていない。※左安吉(大左)は出ている。
  • 観智院本銘尽」の「神代より当代まで上手之事」には正宗は含まれない(同時代の了戒は入る)。ただし巻首に断片的な記載があり、そこには「正宗、貞宗、(略)」と正宗の名が見える。この巻首部分は後代の記載が混入したと見られている。
  • 嘉吉元年(1441年)の奥書のある刀剣書(剣掃文庫所蔵)には上々御物として、「宗近、粟田口国綱、国友、久国、国吉吉光、国宗、神息行平、定秀、光世、安綱真守」ら十三工の名を挙げるが、正宗は含まれない。
  • 室町中期以後、徐々に名前が出始める。
  • 文明十五年(1483)の「能阿弥本銘尽」には、京都での評価は、三条宗近、粟田口吉光ら十二工が万疋(まんびき)に対して、正宗・貞宗広光ら六工は五干疋であったという。
  • 永禄2年(1559年)の「天文銘鑑」では、吉光を「極上ならば不得在代」、宗近を「出来程にて百貫ノ上もあるべし」とする一方、正宗、久国、国綱行平などは「極上ならば太刀は百貫よりあまるや」とする。
  • 天正19年(1591年)の代付けでも、宗近百貫に対し正宗は五十貫にとどまっている。しかし江戸初期になると宗近十五枚に対して、貞宗が五十枚、正宗に至っては無代になっている。

戦国時代  

  • 津田宗及の「宗及他会記」の天正8年(1580年)3月22日の記録に正宗が登場する。それによると、信長の前で脇指14腰、御腰物8腰が振る舞われたとある。茶事に信長を客として招き、当時の名刀を並べたという。
  • 短刀では薬研透(やげんすかし)吉光無銘藤四郎、アラミ藤四郎などの名のある吉光にまじって、上龍下龍正宗、大トヲシ正宗の名があり、腰物分として正宗(ウチイ五郎入道)が記されている。ウチイは「氏家」のことといい、五郎入道は正宗の俗名である。なおこの刀は「油屋に質に入っている」との記述がある。

江戸時代  

  • 本阿弥光徳が毛利輝元の求めにより作成した「光徳刀絵図」には、六十六口の名刀の中に、正宗は四口に過ぎない。
  • 享保4年、本阿弥光忠が将軍吉宗の求めに応じて差し出した「享保名物帳」には、四十一口(さらに焼け身が十八口)の正宗が載っている。この頃から一気に増えていることがわかる。

正宗不在説(正宗抹殺論)  

  • 銘入りのものが極めて少ない点や、さらに室町以前には評価が低かったこと、さらに謙信や信長など愛刀家と知られる名だたる戦国大名が正宗作を佩用していないことなどが根拠となり、明治期には「正宗不在説」がささやかれた時期があった。
  • 事の発端は明治20年頃、明治天皇が侍従富小路敬直に対して天皇家で所蔵する刀剣について忌憚なく審査を行い真偽を分けるよう命じたことに始まる。招集されたメンバーは、本阿弥家3名(本阿弥長識本阿弥光賀、本阿弥忠敬)及び、今村長賀、大竹留七、竹中公鑒などであった。
  • この審査会で槍玉に上がったのが「夫馬正宗」で、大竹留七氏が正真の正宗ではなく京の信国ぐらいであろうと指摘すると、これに今村長賀も同意し、疵物は番外にすべしと主張した。本阿弥3名はこれに同意せず先祖の鑑定通り正真であると主張したが、多数決の結果、「夫馬正宗」は番外(偽物)とされてしまう。
  • さらにのち、日清戦争により刀剣熱が巻き起こった頃に、読売新聞が明治29年7月30日から3回連載で今村長賀に談話を依頼し掲載したところ、その内容が正宗抹殺論であったため刀剣界は騒然となった。その後3ヶ月に渡り、当時の刀剣界を代表する人物等による賛否両論を巻き起こした。
  • 評価は上で書いたとおりで、戦国中期頃までほぼ扱われていなかったものが、戦国末期から江戸初期にかけて鰻上りに評価が上がっていったことがわかる。
  • 戦国大名では、「鬼丸」「大典太」「篠造則宗」「不動国行」「骨喰藤四郎」など名だたる名刀を集めた足利将軍家にも正宗はない。
  • 優れた評価眼を持っていた上杉謙信や織田信長が正宗作を佩用していない。
    上杉家御手選三十五腰大垣正宗は、景勝の子、上杉定勝の元服祝に秀忠が贈ったもの。
  • 高名なものでは朝倉家伝来の「篭手切正宗」があるが、これもまた無銘で朝倉家ではこれを貞宗と極めていた。のち信長が分捕り家臣に与え、さらに佐野家に伝わるがその時点では行光と極められている。正宗に極められたのは、その後前田家に伝わってからである。
  • また数多くある正宗のうち切れ味を示す「骨喰」や「薬研通し」などの異名が付く正宗が存在せず、持ち主および地名に由来するものしか存在しない点も疑いをかけられるところとなった。なお彫物由来(不動)、形状由来(庖丁)の名物は存在する。
  • ただし今日では「正宗抹殺論」は否定され、正宗を鎌倉時代末期から南北朝時代に実在した刀工と見る点で研究者の意見はほぼ一致している。
  • 実在を論証する資料としては下記のものが上げられている。
新札往来
南北朝末期。「名鍛冶」のひとりとして五郎入道の名が出ている。

近代、来国俊、国行、新藤五、藤三郎(行光)、五郎入道、其子彦四郎(貞宗)、一代之名人候

桂川地蔵記
応永23年(1416年)、鎌倉の刀工のうち上作のひとりとして五郎入道を挙げる。

上件一々之太刀・々・長刀等之實者、以往鍛冶天國、神息、藤戸、菊作、粟田口藤林、藤次、林次、林三、國綱、國吉、三条小鍛冶宗近、来国俊、國光、又法師鍛冶定秀、雲秀、了戒、備前國長光景光、三郎國宗、五郎守家、長船之一黨、備中國貞次、盛継、葵作、伯耆國貞綱、筑紫三家田多、鬼神太夫行平、波平、谷山、石貫、金剛兵衛、奥州舞房、光長、鎌倉新藤五、彦四郎、五郎入道、九郎次郎、南都千手院、文殊四郎、一文字、中次郎、尻懸、當麻作也、後鳥羽院「十二月」番鍛冶等亦當世作者信國、々重、達摩、有来、藤島、出雲鍛冶等也、但此中有可刄缺而澁朽實也

尺素往来
宝徳4年(1449年)ごろ一条兼良著「一代ニ聞エタル達者」として五郎入道正宗の名がある。

五郎入道、孫子四郎(略)一代聞達者候、皆干将莫邪、吹毛太阿の佳声を獲、不動の利剣に異らざる者か

宗五大草紙
大永5年(1525年)。「御物に成り候太刀の銘」として、三条宗近、五郎入道正宗、貞宗の名が見える。
永徳銘盡
正宗の名が挙がる
奉公覚悟の事
「進物になる名物」として十八工を挙げ、その中に正宗の名がある。
  • 現在では、偽銘とされた夫馬正宗の銘は初期の銘とされ、また尾張徳川家伝来の不動正宗、京極家伝来の「京極正宗」などの正真の在銘刀が公開されている。

正宗作一覧  

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同名異人  

  • 五郎正宗と同じ「正宗」と銘を切る刀工は諸国にいる。一説に十三名という。
下原正宗
武州下原派。古刀期に二人(大永期と弘治期)いたという。また新刀期にも土佐守または陸奥守を名乗る正宗がいた。
達磨正宗
達磨派。銘は「岡嶋(岡崎)五郎正宗」または「達磨」。山城綾小路住達磨の祖である重光が正宗と切ったという。その子の重光も正宗と切ったという。同名二代。
備後三原正宗
初代は古三原正家の子が正宗。のち備中に移住したとも、あるいは延文・永徳ごろが二代目正宗、文明ごろに三代目正宗がいるという。同名三代。
備前国宗
備前三郎国宗の子で初銘を正宗と切った。父の死後、国宗と切るようになったという。
相州山内住
永正ごろ相州山内に住した正宗がいる。
南都住
和州南都住藤原正宗。金房の一派で天正ごろという。