横山貞宗

横山貞宗(よこやまさだむね)  

貞宗

  • 刃長不明。

来歴  

  • 加賀藩の重臣、横山式部長治の所持。
  • 横山長治は横山山城守長知の三男で、初め神谷守孝の娘を娶り、神谷守孝の養子となった。
    神谷守孝は尾張の国人で、前田利家の近習となり末子前田利貞の傅役を任される。利家死後には剃髪して高野山に上り墓の建立を任された。守孝の正室は中川光重(巨海斎宗半)の娘献珠院。
    中川光重は織田氏家臣の中川重政の子で、妻は利家の次女簫姫(瑞雲院)であり、神谷守孝の正室献珠院は前田利家の外孫という関係になる。中川光重(巨海斎宗半)は、「中川江」に名を残したほか、「大坂当麻」「鵜首当麻」などの来歴に登場する。
  • 貞宗」は、のち本多上野介に伝わっているため、京都浪人中に手放したとみられる。
  • 横山長治の兄、土佐守長次(興知)は当事将軍秀忠の近侍を務めていたため、その長次を通じて上野介に買取り方を働きかけたと思われる。


横山氏  

  • 横山氏は美濃国多芸郡の豪族。
  • 横山長治は、慶長10年伯父の横山長秀(父の長兄)が死ぬと跡を継いだ。
  • 慶長19年、父の山城守長知が前藩主利長の叱責を受け、禄を辞し京都に去ると長治もそれに従い浪人となる。
  • しかし同年10月大阪冬の陣が始まると藩主前田利常から父子ともに許され、前職に復した。

加賀八家  

  • なお横山氏は「加賀八家」と呼ばれる加賀藩前田家の重臣となったが、山城守長知の嫡男康玄が先立っていたために家督は嫡孫の忠次が継いだ。
  • この横山忠次の正室が岡山藩家老日置(へき)忠治の養女であり、日置忠治の養父が「日置豊前安吉」に名を残す日置豊前守忠俊である。
  • 加賀藩の今枝氏、横山氏と、岡山藩の日置氏のつながりを知ることができる。