桑山当麻

桑山当麻(くわやまたいま)  

短刀
桑山当麻
八寸三分半

  • 享保名物帳所載

    上部桑山当麻 朱銘 長八寸三分半 代金三百枚 前将軍家
    表劒裏菖蒲、江州大津より出る、桑山伊賀守殿求め所持、其後紀伊守殿に在り、道具替にて尾張殿へ参る、慶安三年代五千貫なり、昔より桑山と覚たる名物なり、今一腰上部と申す名物有之、如何の事にや証文に上部と出来候や、正徳三年極め同年徳川五郎太殿遺物として上る。

    本阿弥家での混同により、享保名物帳では「上部桑山当麻」と記載される。しかし本刀には上部氏は全く関係しない。

由来  

来歴  

  • もと江州大津にあったものを桑山元晴が買い求め所持。
    桑山元晴は、大和新庄藩桑山家初代の桑山重晴の次男。兄が桑山一重で、弟が桑山小傳次貞晴。桑山家の家督は兄の子(重晴嫡孫)の桑山一晴が継いだ。
  • はじめ百五十枚、慶安3年(1650年)には五千貫の代付け。
  • 桑山元晴はのち大和御所藩初代藩主となったが、元和6年(1620年)7月20日に死去。嗣子貞晴が家督を継いだが、わずか2ヶ月後の9月29日に26歳で早世したために末期養子が認められず封地没収となり、没落する。
  • その際に手放したのか、紀州徳川家に移る。
  • しかし同家にはもう一本「上部当麻」があったため、尾張徳川家と道具替えすることになったという。本刀が「上部桑山当麻」と呼ばれるのは本阿弥家での両者の混同とされる。
  • その後は尾張徳川家伝来。
  • 正徳3年(1713年)に三百枚になっており、同年、尾張徳川家5代藩主の五郎太の遺物として将軍家に献上。
    「五郎太」は尾張徳川家の世継ぎの幼名だが、5代藩主徳川五郎太(4代吉通の長男)は相続から2ヶ月ほど後に数え3歳で死去したために幼名しか残っていない。家督は叔父に当たる継友(3代藩主綱誠の11男)が継いだ。
  • 折紙を添えなかったのか、鞘書や将軍家御腰物台帳では「無代」とされる。また「継平押形」に上部当麻とでているのは別物である。
  • 将軍家に伝来し、昭和8年に重要美術品指定。