本阿弥光瑳

本阿弥光瑳(ほんあみこうさ)  

本阿弥分家、光二系3代
次郎左衛門

生涯  

  • 天正6年(1578年)の生まれ、寛永14年(1637年)10月5日没64歳
  • 片岡垂信入道の子で、本阿弥光悦の従兄弟。

光悦の養子  

  • 光悦の嫡男徳善が元和9年に夭折したため光悦の養子となり、後を継ぎ加賀前田家に仕えた。

    右光瑳儀、光悦同様被召仕毎度御書等頂戴仕、御知行弐百石拝領仕、元和九年隠居奉願、嫡子光甫江右弐百石無相達相続被仰付、寛永十余年病死仕候

能書家  

  • 書を光悦に学び、門人中随一の能筆と言われたが、謙遜して短冊一枚書かなかったという。

書物  

名物刀記」  

  • 前田利常の求めに応じて、名物の名前と寸尺を記したものを献上した。

「積年真模刀茎」  

  • なかごの図の下に作風を書き添えた刀剣書。

享保名物帳  

名人  

  • 光瑳は、下研ぎ、中研ぎ、水仕立て、拭い、磨きとすべての工程で名人と言われた。
  • 本家の本阿弥光室が、将軍秀忠に「名人は誰か」と問われた時にそれは光瑳であると答えたという。

逸話  

  • 名物三好正宗」の砥ぎを光瑳にやらせるという話になったが、光瑳には持病があって江戸まで出れなかったため、将軍家の呉服所後藤縫殿助と腰物係にもたせて京都まで届けさせたという。
  • この時は、下研ぎから水仕立てまでを本阿弥光瑳の次男光由がやり、拭いは光瑳、磨きは長男の本阿弥光甫が担当して仕上げた。

関連項目