朝倉藤四郎

朝倉藤四郎(あさくらとうしろう)  

短刀
吉光名物 朝倉藤四郎)
一分刻鞘合口拵
7寸8分(23.6cm)
特別重要刀剣
個人所蔵

  • 享保名物帳所載

    朝倉藤四郎 在銘長七寸八分 代金百枚 御物
    昔越前の朝倉左金吾義景所持なり輾々として後ち青山大蔵殿所持にて代千枚なり、慶安元年井伊兵部殿より来り六十枚になり稲葉美濃守求めらる、天和元年正月以来代金百枚になり隠居の時上る

由来  

  • 朝倉義景所有にちなむ。
    • 「左金吾」とは左衛門督のこと。

来歴  

  • 越前を領した朝倉義景の所持した短刀。
  • 義景が永禄2年に京都に上った際に、細川伊豆守が所持していた短刀を買い求めたもの。
    この細川伊豆守は足利義晴の御供衆で、一説に細川幽斎の養父だという。「寛永諸家系図伝」編纂の際に細川忠興が提出した文書には、「幽斎ハ、細川伊豆トヤラン、細川刑部少輔トヤランニヤシナハレ、御供衆ニ罷成候」とあり、これが細川高久(伊豆守)であるとする。
  • その後転々とし、青山大蔵少輔幸成(遠江掛川藩、摂津尼崎藩、郡上藩)が代千枚にて購入し所持。このとき代1000貫(25枚)。
  • 慶安元年、井伊兵部(井伊直勝)から鑑定依頼が来たため金60枚とした。
  • その後稲葉正則(稲葉正勝の子)が買い求めた。天和元年に再度鑑定に出され百枚に格上げされた。
  • 子の稲葉正往が天和元年(1681年)に京都所司代となり上京し、天和3年(1683年)稲葉正則は隠居すると家督相続する。6月18日に5代将軍徳川綱吉に隠居の挨拶を行った際に献上された。以降代金百枚となったという。
  • 元禄10年には百三十枚、宝永4年には二百枚。
  • 継平押形には二百枚極と載る。

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