是非共是成

是非共是成(ぜひともこれなり)  

太刀
無銘伝兼定
差表 是非共是成
差裏 藤堂高虎帯之
長二尺五寸二分

  • 無銘だが、和泉守兼定(2代ノサダ)の作とされる。

由来  

  • 切り付け銘にちなむ。
  • 銘は高虎が入れたとされ、切れ味抜群の和泉守兼定に惚れ込んで入れたものと思われる。

来歴  

  • 元は藤堂高虎の所持。
  • その死後、孫で久居藩藤堂家初代となった藤堂高通に譲られた。
    伊勢津2代藩主藤堂高次の次男。万治2年(1659年)12月に従五位下、佐渡守に叙任。寛文9年(1669年)9月29日、兄の高久から伊勢11郡5万石を分与され、津藩の支藩である久居藩を立藩した。久居の名は「永久に鎮居する」という意味を込めこの時名付けられたという。
  • 以後、明治維新まで同家に伝わる。
  • 明治9年(1876年)に藩祖高虎を祀る高山神社(こうざんじんじゃ)が創建されると、本刀は久居藩藤堂家より奉納された。
    高山神社の名は、藤堂高虎(高山公)の法号「寒松院殿前伊州羽林道賢高山権大僧都」にちなむ。
    当時の当主は久居藩藤堂家16代の藤堂高邦。名張藤堂家の藤堂長徳の次男として生まれ、久居藩藤堂家を継いだ。明治17年(1884年)の華族令で子爵に任じられている。明治35年(1902年)死去。
  • その後、高山神社は明治36年(1903年)に津城址の本丸跡に遷宮されるが、昭和20年(1945年)の空襲により高山神社の本社殿は全焼する。
  • 本刀も巻き込まれて消失してしまった。