徳川美術館

徳川美術館(とくがわびじゅつかん)  

公益財団法人徳川黎明会が運営する私立美術館
愛知県名古屋市東区徳川町の徳川園内にある

概要  

  • 徳川美術館は、昭和6年(1931年)尾張家の第19代当主徳川義親が同家に伝来する美術品の保存公開を目的として設立した財団法人尾張徳川黎明会に始まる。その後財団法人徳川黎明会と改称する。
  • 昭和10年(1935年)、同財団により尾張徳川家名古屋別邸跡の現在地に開館したのが徳川美術館である。大倉集古館、藤井斉成会有鄰館、大原美術館などと並び、日本の私立美術館の草分けとなった。
    この美術館設立の資金を得るために、昭和10年(1935年)11月7日を含め計2回、尾張徳川家では高橋義雄に依頼して売立を行っている。しかし重要な家宝については手放すことはなく、さらに大正9年からの戦後恐慌も相まって売立は低調に終わった。
     同時に義親は他家の売立で名品を落札しており、中には蜂須賀家蔵「極彩色豊国祭絵六枚折屏風」(3万6千900円、重要文化財)や、細川護立と競った紀州家蔵「清正公長烏帽子形兜」(11000円)などが現在徳川美術館所蔵となっている。
  • 旧幕時代の大名家所蔵品はその後の動乱期に散逸・喪失したものが多い。当時黎明会設立に際しては周囲からの強い反発があったとされるが、尾張徳川家伝来品がまとまって展示されているのは、19代当主の英断によるところが大きい。
    19代義親は、徳川慶勝が旧尾張藩士を北海道八雲町に移住させたことに始まる同地の徳川牧場の経営にも尽力し、ヒグマ害を減らす目的で毎年熊狩りを行ったことから「虎狩りの殿様」の異名を取る。この時冬季の現金収入獲得の目的でスイスから導入したのが木彫の熊だが、現在では北海道の伝統工芸品の代表格となっている。
  • その後、徳川将軍家、一橋家、蜂須賀家などの売立で購入した品々、名古屋の豪商からの寄贈品も多数収蔵する。

徳川家関連  

  • なお徳川家関連の美術館ではほかに次の2つが存在する。
    • 【水府明徳会】:水戸徳川家所蔵品。「徳川ミュージアム」で展示。
    • 【徳川記念財団】:徳川将軍家所蔵品。「久能山東照宮博物館」及び「日光山輪王寺宝物殿」などで展示

展示品  

刀剣類:国宝  

刀剣類:重要文化財  

国宝源氏物語絵巻 

  • 国宝源氏物語絵巻は4巻現存するが、そのうち3巻がこの徳川美術館所蔵であり、残りの1巻は五島美術館所蔵である。
    源氏物語絵巻のうち、藤原隆能により製作されたと伝えられるために「隆能源氏」と呼ばれるものが名品として名高い。「伴大納言絵詞」、「信貴山縁起絵巻」、「鳥獣人物戯画」とともに日本四大絵巻と称される。いずれも国宝指定を受ける。
  • 徳川美術館所蔵のものは「徳川家本」と呼ばれ尾張徳川家に伝わったもので、絵15面・詞28面が現存する。
    「徳川家本」は蓬生、関屋、絵合(詞のみ)、柏木、横笛、竹河、橋姫、早蕨、宿木、東屋の各帖。
     いっぽう五島美術館所蔵品は絵4面・詞9面で、鈴虫、夕霧、御法の各帖が現存する。
  • 元は10巻あったとされ、そのうち3巻を大坂夏の陣の際に戦利品として押収したものを家康が名古屋城に保管し、のち尾張徳川家に伝わったとされる。
    ただし伝来はよくわかっていないところが多く、一説には、幕末に鷹司家から尾張徳川家、蜂須賀家に子女が嫁いでいることから、その嫁入り本として絵巻が贈られたものとするものもある。
  • 元は巻物であったが、保存上の理由から昭和7年(1932年)徳川義親が田中親美に依頼して絵巻を切断して台紙に貼り、桐箱製の額装に改めている。また同時期に「蜂須賀家本」を所有していた益田孝も同様の処置を行ったために、現在は両者ともに額装となっている。

関連項目