御掘出貞宗

御掘出貞宗(おほりだしさだむね)  


無銘 貞宗(幅広貞宗
名物御掘出貞宗
2尺3寸2分半(70.4cm)
重要文化財
個人蔵

  • 享保名物帳所載

    御掘出シ貞宗 長二尺三寸一分 代三千貫 松平加賀守
    家康公於伏見関ヶ原以後召上げらる正宗の御目利にて光徳に仰付られ貞宗に究る、依之御堀出しと御名付被遊候由、為御遺物利常卿御拝領、万治二年の究なり

  • 身幅が広いため「幅広貞宗」(はばひろさだむね)とも
  • 文化財登録は「幅広貞宗」で行われている。

    刀〈無銘伝貞宗(幅広貞宗)/〉

  • 鎬造、庵棟、重ね薄く、身幅広く、鋒大きく延び、反りの浅い姿。帽子は僅かに乱れ込み、尖りて返り、金筋かかり、沸つき、表裏にやや幅広く浅い棒樋を巧みに搔流している。なかごは大磨上、先剣形。

由来  

  • 関ヶ原戦後、徳川家康が伏見で見出したという。
  • 家康は、自ら鑑定して正宗であろうとした上で本阿弥光徳に見せたところ、その子である貞宗に極まった。これは掘り出しものだと喜んだために名付けられた。それ故に「お掘り出し」と号する。

来歴  

  • 元和2年(1616年)死期の迫ったことを悟った家康は枕頭に前田利常を呼び、これを形見として与えている。この時家康は、利常に対し「お点前を殺すように度々将軍(秀忠)に申し出たが、将軍はこれに同意せず何らの手も打たなかった。それゆえ我らに対する恩義は少しも感じなくてよいが、将軍の厚恩を肝に銘じよ」と述べたという逸話が残る。
  • その後、加賀藩主前田家に伝来した。
  • 万治2年(1659年)に三千貫、寛文8年(1668年)に百五十枚の折り紙つき。