庖丁藤四郎

  • 同名刀が2本ある。
  1. 【尾張徳川家伝来】:7寸2分、現存。徳川美術館所蔵
  2. 【徳川将軍家伝来】:八寸六分。明暦の大火で焼失
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庖丁藤四郎(ほうちょうとうしろう)  

短刀
吉光名物 庖丁藤四郎)
7寸2分(21.8cm)
重要美術品
徳川美術館所蔵

  • 包丁藤四郎
  • 表裏に刀樋と連れ樋彫り物。差表鎺元にふくれ破れ。目釘孔3個。中心少し磨上られ尻近くに「吉光」二字銘

来歴  

  • 敗死したのちに鬼と化した楠正成を切ったとされ、のち足利家の所蔵となり足利将軍家に伝わる。
  • その後大谷吉継が所持したという。関ヶ原で討ち死にした後、分捕られる。
  • 徳川将軍家に入るが、駿河形見分けで尾張徳川家に贈られる。

    慶安四年卯三月御腰物帳 庖丁吉光 御分物之内



庖丁藤四郎は、「駿府御分物帳」では「庖丁吉光」として上々御脇指、および中之御腰物にそれぞれ1本ずつ、計2本載っている。
上々御腰物13点については江戸城の将軍家(秀忠)に贈られているため、こちらが明暦の大火で焼失した目釘孔2個で八寸六分の方であり、目釘孔3個で7寸2分の現存刀は中之御腰物の「庖丁吉光」であると思われる。

徳川秀忠所持「包丁藤四郎」  

短刀
銘 吉光
包丁藤四郎
八寸六分

  • 包丁藤四郎にはもうひとつ知られたものがある。こちらは明暦の大火で焼けるが享保名物に載っている。
  • 享保名物帳所載(ヤケ)

    庖丁藤四郎 長八寸六分 無代 御物
    多賀豊後守所持去る處にて鶴の腹の中へ金筋(鐵の火箸を入れ置くと一本にあり)を入置き、庖丁を所望しける、此事を悟り此脇差にて切る、金筋共に快く切れたり。夫れ故名く、其後鳥飼宗慶所持、子息與兵衛へ傳、秀忠公へ上る、家康公へ進せらる、紀伊国殿拝領、又々上る。

  • 目釘孔2個。「吉光」二字銘。

由来  

  • 室町幕府京都侍所所司代を務めた近江国の多賀高忠は、故実にも通じた文化人でもあり料理もよくした。
  • ある日政敵から鶴の料理を依頼されるが、その男は高忠に恥をかかせようと企んで鶴の腹の中に”鉄箸”を忍ばせていた。
  • 高忠はそれを察したが、包丁藤四郎を使い鶴を鉄箸ごと断ち切ってしまい、喝采を浴びたという。

来歴  

  • のち堺の町人所持となっていたのを鳥飼宗慶が買い取り所持。子の与兵衛宗精に伝えた。
    • この時に本阿弥光心が押形をとっている。
  • 秀吉が召し上げ、上杉景勝が拝領。
    • 秀吉のもとにあった時に本阿弥光徳が押形を取り、慶長16年2月に埋忠寿斎が金具を作っている。
  • のち秀忠に献上。秀忠は家康に贈り、紀州頼宣に与えた。
  • 頼宣は再び将軍家に献上している。
  • 将軍家では一之箱に納め御腰物帳の6番目に記載。

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