幸寿丸

幸寿丸(こうじゅまる)  

太刀
刃長一尺八寸一分
満願寺所蔵

由来  

  • 幸寿丸は実在した人物で、平安時代中期の武士藤原仲光の子。藤原仲光は多田満仲(源満仲)に家臣として仕えていた。
  • 多田満仲は、近江守源俊の娘に産ませた八男、美女丸を僧にするために中山寺(兵庫県川西市)にいれる。
    つまり美女丸は、源頼光や源頼平の同母弟にあたる。
  • 美女丸が15歳になったある日、満仲は美女丸に修業の成果を尋ねる。
  • しかし和歌や管弦はもとより、経文も読むことができなかったため満仲は怒り、家来の藤原仲光に殺害を命じる。
  • 藤原仲光は主君の子を斬るに斬れず、ついに美女丸を比叡山に逃しその身替りに我が子幸寿丸の首を討って満仲に差出す。
  • 後にそのことを知った美女丸は発奮し、恵心僧都源信について修行を積み、ついには阿闍梨に上り詰め源賢阿闍梨(多田法眼)と呼ばれた。
  • この美女丸こと源賢阿闍梨は、のち河内若江に移り住み、そこで美女山薬師寺(巨摩堂)を開いたという。また子孫は美女堂(びんどう)氏を名乗った。天保2年(1831年)に子孫の美女堂勝喜が建立した「美女堂氏遺愛碑」が今も大阪府東大阪市若江南町に残る。

来歴  

  • 源賢が開基した満願寺に幸寿丸の佩刀が奉納され伝わる。
  • 集古十種」に所載。

    幸壽丸太刀圖攝津國河邊郡多田庄神秀山滿願寺藏

  • 満願寺(摂津多田庄、現兵庫県川西市)所蔵。

歌舞伎十八番「仲光」  

  • この悲哀は歌舞伎となり、歌舞伎十八番「仲光」(二代源氏誉身替(にだいげんじほまれのみがわり))に幸寿丸が登場する。