島津正宗

島津正宗(しまづまさむね)  

刀 無銘
名物 島津正宗
長さ二尺二寸七分(磨上)
京都国立博物館所蔵

  • 無銘で相州正宗の極め
  • 享保名物帳所載

    島津正宗 磨上二尺二寸七分 代金二百枚 松平加賀守殿
    紀伊国殿御隠居の時上る、松平加賀守殿へ常憲院様御成の刻下さる、表裏樋あり

    島津正宗 磨上長二尺二寸七分半 代金二百枚 松平加賀守殿
    紀州御隠居の刻上る、其後松平加賀守殿宅へ常憲公御成の刻下さる、表裏樋有之
    享保名物帳名物追加)

    • 常憲院とは5代将軍徳川綱吉のこと。
    • なぜか名物追加の部にも重複記載されている。
  • 江戸時代の「継平押形(つぐひらおしがた)」にも刃紋が記載されている。

由来  

  • 号である「島津」の由来についてはわかっていない。

来歴  

島津義弘  

  • 慶長4年(1599年)に正宗を拝領。

    正月三日東照宮、義弘が伏見の邸に渡御ありて帰朝を祝せられ、吉例の物なりとて二次国俊の御刀をたまはる。九日大老連署の書をあたへ、義弘が朝鮮の軍功を賞せられ、薩摩國のうち収公せられし地五万石、及び正宗の刀をさづけらる。これ東照宮の御はからひによるところなり。
    (寛政重脩諸家譜)

    この正宗が島津正宗であるという確証はまったくない。なおこの他に拝領した正宗は、「ていや正宗蘆屋正宗)」短刀、及び寛永7年(1630年)島津邸御成の際に拝領した正宗御脇指、慶長20年?6月2日付け本多正純書状に現れる「正宗御脇指」などがあるが、いずれも脇指(短刀)。

    この時、家久には「長光の御刀」を賜り、9日には「正四位下少将に任じられ、長光の刀」を賜はる。

将軍家  

  • 同様に本刀との関係はわからないが、寛永15年(1638年)に島津光久が亡父島津家久(忠恒)の遺物として正宗を献上している。

    十三日松平薩摩守光久襲封を謝して、國行の太刀、銀千枚、繻珍五十卷獻じ、父中納言家久卿遺物正宗の刀、貞宗の脇差、唐物肩付、三幅の書、後鳥羽院宸翰の御懷紙をさゝぐ
    (大猷院殿御實紀)


紀州徳川家  

  • その後「島津正宗」は、家康が紀伊頼宣に与えたと思われる。
  • 貞享元年(1684年)、紀伊徳川家から本阿弥家に鑑定に出され、二百枚の折紙をつけている。

将軍家  

  • 元禄10年(1697年)に将軍綱吉が紀伊光貞邸に御成の際に、将軍に献上されている。

    獻物は光貞卿より備前長光太刀。 島津正宗の刀。 光包の差ぞへ。綱教卿より備前眞守の太刀。切付貞宗の刀。

前田家  

  • 元禄15年(1702年)4月26日、将軍綱吉が前田綱紀邸に御成の際に拝領。

    けふの賜物。 綱紀に備前國宗の御太刀。 銀三千枚。時服百。 繻珍百卷。 天鵞絨五十卷。 御盃のとき。 島津正宗の御刀。 吉光の御さしぞへ 。

    四月十六日、加賀守宅へ御成之節、被下候品々、
    太刀備前国国宗、代三百五十貫、二尺五寸五分半
    御刀島津正宗、代金二百枚、二尺二寸七分半
    御腰指吉光、代金三百五十枚、代七千貫、九寸五分
    右松平加賀守(前田綱紀)拝領、
    眞御太刀長光、代金十三枚、二尺二寸
    御刀貞宗、代金七十五枚、二尺四寸五分
    右松平又左衛門(前田吉徳)拝領、加賀守惣領也
    (御当代記)

  • 享保8年(1723年)5月に本阿弥家に鑑定に出し、三百枚の折り紙がつく。

将軍家  

  • 同年8月22日に加賀藩の前田綱紀が家督を四男の吉徳に譲って隠居した際に将軍家に献上している。

    廿二日致仕松平肥前守綱紀使して島津正宗の刀を奉り。長福君に正宗の刀。小次郎君に來國光のさしぞへ。小五郎君に當麻のさしぞへを奉る。

天皇家  

  • 1919年発行の「刀剣名物帳」によると、文久2年(1862年)の和宮様降嫁の際、徳川将軍家がこの「島津正宗」に金千両を添え天皇家に献上したと伝わる。献上後、まもなくして行方不明となっていた。
    しかし、明治2年調べの徳川家腰物台帳に記載があるため、献上説は誤りであるとされる。

その後  

  • その後、1969年に大阪で蕎麦屋を営む奥田米佛門(べふもん)氏が天皇家に近い近衛家から譲り受けたという。
  • 2013年にその個人から京都国立博物館に寄贈され、同館にて調査したところ、由来、押形との比較などから島津正宗と確認され、「150年ぶりに確認」とニュースになった。