山本悌二郎

山本悌二郎(やまもとていじろう)  

実業家、政治家
農林大臣
号 二峯

生涯  

  • 明治3年(1870年)、新潟県佐渡の漢方医山本桂の次男として生まれる。
    第一次近衛内閣・平沼内閣・米内内閣で外務大臣として入閣した有田八郎は実弟。有田は山本家に生まれ、有田家の養子となった。三島由紀夫の「宴のあと」にモデルとして描かれ、有田はこれに対して法定で争っている。この事件は日本初のプライバシー侵害裁判として話題となった。宴のあと - Wikipedia 「宴のあと」事件 第一審
  • 明治15年(1882年)上京、一時期二松学舎に在籍した後、獨逸学協会学校(現・獨協中学・高等学校)に転校しドイツ語を学ぶ。
  • 明治19年(1886年)に同校を卒業後、宮内省給費生としてドイツに留学し、経済学・農芸化学を学ぶ。
  • 明治27年(1894年)に帰国。宮内省御料局嘱託、第二高等学校教授、日本勧業銀行鑑定課長を経て、明治33年(1900年)台湾製糖(三井製糖の前身企業の一つ)の設立に参画し常務取締役支配人となる。大正10年(1921年)社長に就任する。
  • 明治37年(1904年)、第9回衆議院議員総選挙に立憲政友会から旧新潟1区にて立候補し当選する。以後当選11回。政友会内で重鎮として重きをなし、10名程度の派閥を率いていた。
  • 昭和2年(1927年)に田中義一内閣および、昭和6年(1931年)に犬養内閣で、それぞれ農林大臣として入閣している。
  • 昭和12年(1937年)12月14日、脳溢血のため死去、満67歳。

刀剣  

  • 山本は、関東屈指の蒐集量を誇った刀剣家として知られる。
  • のち中央刀剣会の第5代会頭を務めている。
徳善院貞宗
信忠から三法師、秀吉。歿後、前田徳善院に形見分け。家康、紀州徳川家。大正13年(1924年)の売立で山本が入手。のち三井家が購入し、現在は三井記念美術館蔵所蔵
加藤国広
加藤清正所持。娘八十姫(瑤林院)が紀州徳川頼宣へ輿入れした際に持参させ紀州徳川家に。吉宗が将軍家に持込み、田安家に移る。昭和のはじめに売りに出されたのを山本が購入している。のち三井八郎右衛門11代三井高公氏が購入した。現在は三井記念美術館所蔵。
左近将監助光
阿部忠秋が隅田川を騎馬で渡り切ったことを賞され家光より拝領したという刀。堀部直臣から井田栄三と渡った後に山本が入手。その後は宇佐美莞爾、田口儀之助と渡って行った。

その他  

  • 関東大震災でも、当時網屋に預けていた多数の刀剣を焼失している。
    「網屋」は江戸から続いた刀商。小倉惣右衛門。
  • 来国行

    長約二尺三寸五分 因州池田家伝来

  • 一文字則房刀

    長二尺二寸 折返し銘 号見かへり

  • 村正

    長二尺三寸五分 銘勢州桑名住村正 福地源一郎舊蔵

  • 左安吉短刀、来光包短刀
  • 備前長船兼光短刀

    號蓮華 讃州揚家伝来

売立  

  • 入閣などの際に入り用だったのか、昭和4年(1929年)10月3日に東京美術倶楽部にて売立を行っている。主なものは次の通り。

関連項目