小野篁

小野篁(おののたかむら)  

平安初期の漢学者で歌人
従三位・参議
野相公、野宰相、野狂
小倉百人一首では参議(たかむら)

生涯  

  • 小野妹子(遣隋使)の五代孫であり、参議小野岑守の子。
  • 小野小町(六歌仙)、小野好古(藤原純友の乱追捕使)・道風(三蹟)兄弟の祖父にあたるという。
  • 遣唐副使に任命されたが、二度の難破の後に大使藤原常嗣と軋轢を起こし隠岐に配流。
  • しかし、その才を惜しまれ二年後には帰朝。承和十四年参議に任じられる。従三位。野相公、野宰相と称される。
  • 配流の際に詠んだ詩が、百人一首に選ばれている。

    わたの原八十島かけて漕ぎ出ぬと人には告げよあまのつり船

閻魔大王  

  • 説話では、小野篁はこの世と地獄を自由に行き来し、閻魔大王の閻魔の庁の第二冥官を勤めたという。地獄に行き来するのに井戸を使ったと言い、往路は六波羅蜜寺近くの六道珍皇寺の裏庭の井戸(死の六道)。復路は嵯峨野の福生寺の井戸(生の六道)だったといわれている。閻魔大王から「お精霊迎え」の法を授かったという。
  • 六道の辻とは、六道珍皇寺の門前から西福寺の門前の辺りを指す。六道とは地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道を指し、葬送の場であった鳥辺野へ繋がる場所であったここが、この世とあの世との境であったという。