富田江

富田江(とみたごう)  


無銘 義弘(名物 富田江)
刃長64.8cm、反り1.4cm
国宝
前田育徳会所蔵

  • 享保名物帳所載

    富田江 磨上長二尺一寸四分 不知代 松平加賀守殿
    富田左近殿所持、堀左衛門太夫代金十六枚に求め秀吉公へ上る、公より秀次公へ進ぜらる、又秀吉公へ上る、御遺物として利家卿拝領、秀忠公へ上る、又た利長卿拝領、天下一の郷也、寛永の頃光瑳代付の吟味あり、入札の如く印形の書付にて八百枚また二万貫など申事にて光室兎角代付の難成御道具とて其時さへ代付ならず

  • 表裏に棒樋をかき透す。行の棟、鋩子は乱れこんで丸く返るが表裏で形異なる。中心は大磨上無銘。目釘孔2個

由来  

  • もとは富田左近将監信広(富田一白)が所持していたためこの名がつく。
    800石の前田家臣富田左近ともいう。

来歴  

富田一白堀秀政→秀吉  

  • 秀吉から秀次へ与え、また秀吉に献上される。

前田利長  

  • 秀吉薨去の際に遺物として前田利長が拝領。

    越中宰相利長(前田利長) 吉広の刀

    慶長三年四月二十日従三位中納言に叙任す。この日太閤の遺物富田郷の刀をあたへらる。

  • 利長は三尺あったのを二尺一寸四分に磨上たという。

将軍家・前田利常  

  • 前田利長から徳川秀忠に献上され、秀忠の死後、遺物として前田利常が拝領する。

    寛永九年台徳院殿の御遺物後藤正宗の御刀をたてまつる。これより先利常参勤のおりから郷の御刀、富田郷の御刀、鳥飼国次の御脇指、貞宗朱判の御中脇指、戸川国次来国次の御脇指、木の目肩衝の茶入、定家筆八重葏の色紙をたまふ。

  • 寛永のはじめごろ、加賀本阿弥光瑳が金八百枚または二万貫の代付けを主張するが、本家の本阿弥光室は代はつけがたいとして折紙を出さなかった。
  • 文化9年(1812年)3月にお手入れをした本阿弥長根は、名物帳に「天下一之江也」と褒めあげている。
    本阿弥家の最後の当主忠道の述懐によると、明治の初め加賀本阿弥の俊蔵の案内で前田家のお刀拝見にいった際、入札鑑定を行ったという。そのとき、忠道がこの富田江を二本目に当てたところ俊蔵から叱られたという。これはすべての出来が普通の郷義弘と異なっており、本阿弥光悦の時代から誰も言い当てるものがいなかった。たいてい備前清光と目利きしたという。それを言い当てたのは作風からではなく前田家に富田江があるという知識からの入札で真の鑑定ではないという。備前清光にしか見えないものを郷義弘の鑑定にしているのはおかしい事になり、本阿弥光室折紙を出さなかったのも、郷義弘という鑑定に承服できなかったためとされる。
  • 郷義弘の作中、出来および健全さにおいて稲葉郷(稲葉江)と双璧をなし、当時天下第一の郷であるといわれた。
  • 昭和のはじめに重要美術品指定。前田利為候爵所持。
  • 昭和11年(1936年)旧国宝指定。
  • 昭和31年(1956年)6月28日に国宝指定。