宗易正宗

宗易正宗(そうえきまさむね)  

短刀
銘 相州住正宗/嘉暦三年八月日
刃長八寸三分

  • 平造り、反りがある。
  • 銘は差表に「相州住正宗」、裏に「嘉暦三年八月日」と切る。

由来  

  • 宗易は千利休の諱で、利休所持にちなむ。
    • 「大坂長銘正宗」ともいう。ただし長が微妙に異なり、またこの宗易正宗は秀吉ではなく信長から拝領したとも伝わる。

来歴  

  • 細川幽斎が豊臣秀吉に献上。
  • ある時、秀吉が千利休に何か一品遣わそうといったところ、利休は正宗の脇差を頂戴しとうございますと答えたため、この長銘の正宗を与えたという。
  • 利休はこれに拵えをつけるべく、以前買っておいた古鞘を本阿弥光徳に示し、この通りに作ってくれと頼んだ。
  • この古鞘は、以前光徳の伯父である本阿弥光二が名物鳥養国次」のために拵えたものであった。
  • 天正19年(1591年)に秀吉の逆鱗に触れた利休が自害すると、この短刀は秀吉の元に戻った。
  • のち豊臣秀頼に伝わる。
  • 慶長17年(1612年)、秀頼は埋忠寿斎に命じて金具を造らせ、拵えを新たにしている。
  • 慶長19年(1614年)の大坂冬の陣の前、秀頼は長崎の商人高屋七兵衛にこの長銘正宗を託し、薩摩の島津家久を大坂方へ勧誘させているが島津では受け取らなかったという。
  • 翌年の大坂夏の陣で大坂城は落城し、この長銘正宗も焼けてしまった。
  • 家康が掘り出したものの再刃されず、家康が大坂から江戸に凱旋する途中名古屋城において帰ったため、その後尾張徳川家に伝来した。