奈良屋貞宗

奈良屋貞宗(ならやさだむね)  

短刀
無銘 貞宗
名物 奈良屋貞宗
9寸7分(29.4cm)
徳川美術館所蔵

  • 貞宗
  • 享保名物帳所載

    奈良屋貞宗 無銘長九寸七分 代金三百枚 尾張殿
    泉州堺、奈良屋宗悦と申す者所持、并に親子藤四郎も此者所持也、文禄の頃右貞宗を五百貫に黄門秀俊卿求め秀吉公へ上る、秀頼公へ御伝へ、慶長十三年五月二十一日秀忠公へ進ぜらる、其後御上洛の刻名古屋にて尾張殿拝領、慶安三年中納言殿より来り前方の代付にて証文調参る

  • 平造り、真の棟、差表に素剣と梵字、裏に護摩箸。なかごうぶ、目釘孔2個、無銘。

由来  

  • 堺の商人奈良屋宗悦が所持したためという。

来歴  

  • 文禄のころ500貫にて豊臣秀保(大和大納言秀長の養子)が買い求め、秀吉に献上される。※黄門秀俊は小早川秀秋(中納言秀俊)ともいう。

御物、ならや貞宗、長さ九寸七分
一之箱 奈良屋貞宗

  • 秀吉から秀頼に伝わり、のち慶長13年(1608年)5月21日に秀忠へ贈られる。
  • 元和9年(1623年)2月13日、将軍秀忠が尾張義直亭の新築祝として将軍御成をした際に贈答したものとして登場している。
  • 寛永11年(1634年)7月5日、将軍家光が上洛の途中に名古屋城に立ち寄っており、この時義直が献上。

    やがて名古屋の城にいらせ給ふ。大納言義直卿饗せられ。なごや貞宗の脇差。二字國俊の刀を獻ぜらる。貞宗の御刀。國次の御脇差。銀千枚。時服二百遣はさる。

    「なごや貞宗」と誤記されている。

  • 寛永17年(1640年)5月14日家光は紀州邸に臨み、頼宣に贈っている。

    十四日紀伊大納言頼宣卿の邸に臨駕あり。(略)亞相御賜はる時。正宗の御刀。奈良屋貞宗の御脇指ひかせらる。この御盃かへし奉るとて。義弘の刀。和泉藤四郎の脇差を獻ぜらる。

  • 慶安3年(1650年)、「中納言殿より」本阿弥に鑑定に出され、金300枚にて証文が作られる。
    この中納言は紀伊徳川家の光貞とされる。
  • 享保4年の享保名物帳編纂時には尾張徳川家となっている。これは天和元年(1681年)7月に、尾張へ帰国の挨拶に登城した際に「貞宗の脇差」を拝領しており、これが奈良屋貞宗とされる。
  • 以後は尾張徳川家に伝来。
  • 最後の藩主、義宣が差料にした。