太鼓鐘貞宗

  • 2本ある
  1. 【仙台藩伊達家所蔵】:8寸2分。現存、重要文化財指定。
  2. 【下総佐倉藩藩主稲葉家所蔵】:八寸三分半。
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太鼓鐘貞宗(たいこかねさだむね)  

短刀
無銘 貞宗名物 太鼓鐘貞宗)
8寸2分(24.7cm)
重要文化財
個人蔵

  • 無銘ながら相州貞宗の作とされ、貞宗作中もっとも小振り。
  • 埋忠銘鑑」所載。刃長八寸二分。
  • 差表に棒樋のなかに浮き剣、差裏に棒樋のなかに浮き宝棒を彫る。
  • 中心うぶ、目釘孔4個。うち2つは埋める。

由来  

  • 太鼓鐘の号は、堺の太鼓鐘(たいこかね)という名の町人が持っていたためという。

来歴  

  • 堺の太鼓鐘という名の町人が所有していたものが、江戸時代には将軍家の所有となっていた。
  • 駿府御分物帳には上々御脇差の項に記載されている。

    たいこかね貞宗 もり藤四郎

    "もり藤四郎"は、毛利元就の九男、毛利藤四郎秀包のこと。兄である小早川隆景の養子となり、小早川秀包(元総)と名乗る。のち隆景が羽柴秀俊(小早川秀秋)を養子に迎えたため、廃嫡され別家を創設し毛利氏を名乗った。

  • 元和3年(1617年)卯月4日に紀州徳川家頼宣が将軍秀忠に献上。
  • 同年12月13日、将軍秀忠の養女振姫(孝勝院、池田輝政の娘。母は徳川家康の次女督姫)が伊達忠宗に輿入れする際、秀忠より伊達忠宗に下賜されたという。

    十八日松平陸奧守政宗。美作守忠宗父子まうのぼり。姫君降嫁を謝し奉り。(略)政宗へ別所貞宗の御脇差たまひ。忠宗に長光の御刀。貞宗御脇差(太鼓磬と稱す)を賜ひ。その家司伊達安房成實。伊達安藝定宗も拜謁し時服を下さる。

    政宗に別所貞宗の脇差。忠宗に長光の刀と太鼓鐘貞宗の短刀

  • 伊達家では「太鼓馨」とも書く。
  • 元禄9年(1696年)正月28日、4代藩主綱村の養子吉村が将軍お目見えの時、綱村より譲られている。
  • 5代吉村は享保5年(1720年)これを嫡嗣勝千代丸(6代宗村)に与えた。
  • 以降、伊達家の蔵刀として代々相伝し、仙台藩伊達家に伝わる。
  • 三千貫の代付けは、本阿弥家の折紙ではなく伊達家の下げ札。
  • 明治16年に仙台から東京の伊達邸に移す。
  • 昭和4年(1929年)3月の日本名宝展覧会では伊達興宗伯爵所持。

    太鼓鐘貞宗短刀 伯爵 伊達興宗家




太鼓鐘貞宗  

短刀
八寸三分半

  • 伊達家所蔵の「太鼓鐘」とは別の刀とされる。
  • 享保名物帳所載

    太鼓鐘貞宗 無銘長八寸三分半 代三千貫 稲葉丹後守殿
    表棒樋の内浮剣、裏棒樋の内浮棒有之、由緒聢と不知、堺に太鼓鐘と申家名の町人あり名物多く堺より出たれば其者所持と考置也、延宝四年右の代極る

  • 差表に棒樋のなかに浮き剣、差裏に護摩箸の彫物。
  • 目釘孔5個、うち2つは埋める。

由来  

  • 太鼓鐘の号は、堺の太鼓鐘(たいこかね)という名の町人が持っていたためという。

来歴  

  • 堺の太鼓鐘という名の町人が所有していたものが、江戸時代には将軍家の所有となっていた。
  • 元和ごろの「本阿弥光柴押形」には「御物」と書かれており、当時徳川将軍家所蔵。
  • 延宝4年(1676年)に本阿弥家で三千貫の折紙を出している。
  • 享保名物帳編纂時は下総佐倉藩初代藩主であった稲葉丹後守正往の所持。
    稲葉正成        保科正之───石姫
      ├──稲葉正勝───稲葉正則    ├──亀姫
     春日局          ├───┬稲葉正往
                毛利秀元娘 │
    伊達政宗              │
      ├──伊達忠宗         └仙姫
     愛姫    ├────伊達綱宗    │
         ┌貝姫      ├────伊達綱村
         │      三沢初子
         └櫛笥隆子
            ├───後西天皇
          後水尾天皇
    
    稲葉正往は春日局の曾孫にあたる。相模小田原藩2代藩主で老中、大政参与を務めた稲葉正則の長男に生まれ、母は毛利秀元の娘。父正則の死後、正往自身も江戸城大留守居役、老中に取り立てられた。正往の正室石姫は会津藩主保科正之の娘で、正往の妹が万寿寺殿仙姫で延宝5年(1677年)に伊達綱村の正室となっている。正往はこの縁で伊達綱村の後見役となり、仙台藩で隠居騒動が起こった際には調停をしている。
     つまり稲葉家は当時仙台藩伊達家と密接なつながりがあったことになり、本刀(稲葉太鼓鐘)は伊達家の太鼓鐘と同物の可能性がある。いっぽう伊達家の太鼓鐘は元禄9年(1696年)に4代綱村から5代吉村へ、名物帳編纂期の享保5年(1720年)にも吉村から6代宗村へと相続されている。また稲葉太鼓鐘には延宝4年(1676年)の本阿弥家の折紙が附くが、伊達太鼓鐘には伊達家による下札のみが附く。さらに享保名物帳や伊達家記録にも、それぞれ伊達家・稲葉家の伝来を記していない。
     仮に延宝5年(1677年)の仙姫婚礼の際に伊達家から稲葉家に贈られたとすると、本阿弥家はそれが伊達家から鑑定に出されたことを知っており、なおかつ遅くとも20年後の元禄9年(1696年)正月には伊達家に戻されていなければならない。享保名物帳はその約20年後、享保4年(1719年)に将軍吉宗の命により編纂されたものであるため、かつては将軍御物であり、さらに「本阿弥光柴押形」にも所載している貞宗について、本阿弥家の記録が20年以上も更新されていなかったことになる。これらのことを考えると別物ではないかと思われる。