大坂当麻

大坂当麻(おおさかたいま)  

短刀
大坂当麻

  • 享保名物帳所載

    大坂当麻 無名長八寸八分 代七千貫 松平右衛門督殿

由来  

  • 大坂落城時に所蔵されたため、「大坂当麻」と名付けられる。

来歴  

  • 信長一族の織田駿河守重政(中川八郎右衛門尉重政)が所持し、後に子の中川清六光重に譲る。
    信長の死後、中川光重は前田利家の次女簫姫(瑞雲院)を娶っていた関係で前田家に仕える。一時前田家を去るが、のち帰参し越中増山城代、二万三千石となる。隠居して巨海斎宗半と号す。
  • 当麻は、この中川光重(巨海斎宗半)から藩主利長へ百貫で買い上げられ、秀吉に献上された。

    肥前進上當麻 八寸九分(大坂御物名物刀剣押形
    當ま、八寸九分、肥前匠上(太閤御物刀絵図

    • 肥前とは羽柴肥前守(前田利長)のこと。この頃は単に「当麻」と呼ばれている。
  • のちに大野治長が拝領。
  • 治長は大坂落城の際に秀頼と命をともにしたため当麻は行方不明になるが、元和6年(1620年)に本阿弥光瑳が見つけ、秀忠に献上する。
  • 寛永9年(1632年)正月に秀忠が薨去すると、2月7日に遺物として池田宮内少輔忠雄に贈られた。
  • その後、池田家に伝来し享保名物帳にも同家所蔵として記載される。
    • 池田吉泰(因幡国鳥取藩3代藩主、鳥取藩池田家宗家5代)が享保14年(1729年)閏9月23日に右衛門督から相模守へと改めており、一部の名物帳では「松平相模守」とされる。
  • 現在は行方不明。