堀部直臣

堀部直臣(ほりべなおおみ)  

銀行家
旧熊本藩士

  • 愛刀家で知られた。
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生涯  

  • 堀部直臣は、安政元年(1854年)肥後熊本藩士の家に生まれた。
  • 堀部家の祖は赤穂浪士堀部安兵衛であり、その死後に堀部言真が家督を継ぎ、子孫は熊本藩士となった。
  • 直臣はこの家系の生まれである。
  • 明治維新後に各地で士族の反乱が頻発すると、熊本でも明治9(1876年)に「神風連の乱」が起こり、堀部直臣はこれに参加している。
  • その後、明治10年に設立された第九国立銀行の頭取となる。明治34年(1901年)には、第3次伊藤内閣で大蔵大臣を務めていた井上馨に第九銀行の現状報告をした文書が残っている。

    当銀行善後処理ニ配慮感謝 継続方法ニ関スル臨時総会静穏ニ終了 未払株金払込可決 取締役引責辞職 次期総会マデ京地ノ吉左右待望

  • その後明治35年(1902年)の日本興業銀行設立の際、23名の設立委員に任命されている。また明治30年頃には九州鉄道の株主にも名を連ねている。
  • 昭和5年(1930年)77歳で没。

逸話  

杉山茂丸との交流  

  • 杉山茂丸と刀をやり取りしたエピソードが残る。それによれば、堀部は杉山所持の肥前忠吉の小短刀を所望しており、杉山は堀部所持の国広の短刀を所望していた。
  • 互いに相談し、どちらか先に逝った際には相手にその刀を渡すという取り決めをしたという。のちに堀部が病で倒れると、杉山は「国広は大丈夫か?」と幾度も問い合わせをし、堀部もそれに対して「まだまだ」と返答したという。結果的に堀部は国広の短刀を手放すことになり、杉山は相場以上の金銭を支払い入手したという。

清田直  

刀剣  

  • 始め熊本で長崎仁平から買い求め、のちには肥後金工西垣家の末裔である西垣四郎作の助言を得て購入している。
  • また本阿弥琳雅と交流し無二の後援者となっている。

信長拵の写し  

  • 浮股信長の信長拵(御家拵)の再現に取り組んでおり、本歌は失われたがこの写しは現存している。

    長屋氏(旧土佐藩士、陸軍大佐の長屋重名氏)の熊本を去ると前後して之に興かりし工匠も亦没し、今や再び此の道の絶えんとするを歎ぜしが、宛かもよし、長屋氏の府下大久保に寓居せらるるを聞き、廔々其の門を㪣きて教へを請ひ得る處少からざりき。
    越ゑて明治四十四年清浦子爵(清浦奎吾、第23代内閣総理大臣)右拵方を網屋に嘱す、即ち予も之に興り、工匠數輩と共に細川家にて親しく信長刀を見て研究を重ね、大正元年十二月に至て出来せり。是に於て四百餘年前の慶長拵復古し、三公も亦地下に瞑するを得んか。

備前長船則光  


銘 備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光/於作州鷹取庄黒坂造/鷹取勘解由左衛門藤原朝臣泰佐打ス/長禄三年己卯十二月十三日
長68.1cm、反り2cm
重要文化財
個人蔵

備前助光  

太刀
銘 備前国吉岡住左近将監紀助光/南无八幡大菩薩/南无妙見大菩薩 元亨二年三月日

  • 1500金を投じて購入したもの。
  • 昭和28年3月31日国宝指定。個人蔵

国広  

短刀
八寸八分

  • 平造り、筍反り。
  • 生ぶ中心。目釘孔子。先栗尻。表に「國廣」二字銘。

その他の刀剣